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剥がれていいもの、手放したくないもの

外資系企業に勤めていた間は日々の業務の基本が英語でしたが、独立してからは、英語を使うことがぴたっとなくなりました。

洋書を読むとか、洋ドラを字幕なしで見るとか、TEDをきくとか、キャリコンの勉強でも求められていないところまで英文サイトを漁るとか、英語力を維持するためにゆるい努力はしているけれど・・・

思えば、そもそも、外資現役時代から威張れるほど流暢だったわけではなく、英語はいつだってわたしのコンプレックスでした。海外生活をしたことのない自分にとって、英語というのは仕事の必要に迫られ身につけた「道具」でこそあれ、「好き」という自覚はなかったのです。

ここ数年は、どっちかというと母国語でのコミュニケーションを磨く方の努力が必要でした。日本企業のお客さまと仕事をするコンサルティングの仕事では、油断すると自分が馴染んできた外資系の横文字言葉が出てしまって、「面白くないルー大柴」みたいになることのほうを防がねばならなかった。

しかし先日、実に2年半ぶりに、知的負荷のかかる英語の仕事をうけたために、事前に自主練をして臨みました。

どうやってって?最近の音声認識機能ってすごくって「Google翻訳」のサイトでマイクのアイコンをポチっとしてセンテンスを話したら、かなり精度高く聞き取り書き起こしてくれるのでね!フリーツールのライフハックだよ。

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意図した文言が正しく再現されたらOK。うまく発音できないところは、テキストを打ち込んで現れるスピーカーのアイコンを押せばGoogle先生が正しい発音を教えてくれる。それで自分の発音を地道に糺していけるわけです。

なかには何度修正を試みても、誤認され訳の分からない文章になってしまう単語がいくつかあります。(母国語でやるとその問題は起きないところをみると、聞き取ってもらえないというのはすなわち、わたしの発音が拙いということなのです。)そういう部分は、自分が自信をもって発音できる言い回しに変えていくという作戦でした。

なのに、そこまで準備して臨んでも、やはり現場はライブ。アドリブ勝負で、言いたいことが頭に浮かんでも、とっさに舌が・・・回らない!という、自分の使えない感じに冷や汗の出る思いをしました。

好きな仕事を選べる・得意なことで人の役に立てるというのは嬉しいけれど、快適に安住していると学ぶ機会が減って、自分の成長がありません。それどころか、放っておくと、苦労して身につけたスキルも退化するんです。そんな経験をして改めて、自分は英語力を手放したくないということに気が付きました。まあ、威張れるほどのものではないけれども、かなり頑張って積み上げたものではあるからね。

でも、同じ積み上げたスキルでも「もういいや」と思うものもあります。例えばわたしのExcelの扱いって、おそらく英語より売り物になる腕前なのです。でもそういうテクニックは早晩時代遅れになるし、剥がれてもいいかな。SQLなんか、既に忘れかけているけれど、ちっとも惜しくない。

むしろ、それらのツールに酷使されながら身につけた構造的な物事の捉え方なんかは、今後生きて行くうえでも役に立つだろうなと感じています。

でも、英語については、これからもっと積極的に使う・・・読む聞くだけでなく、「喋る」環境をとって行こうと決めました。

“The comfort zone is a psychological state in which one feels familiar, safe, at ease, and secure. If you always do what is easy and choose the path of least resistance, you never step outside your comfort zone. Great things don’t come from comfort zones.”  ‐  by Bob Bennett

 

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