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「電通案件」って言葉が巨悪の根源的ニュアンスでつかわれるなんて

電通が発表した推計によると、2019年度の国内の媒体別広告費でオンライン広告の金額が、ついにテレビ広告を抜きました。そろそろだなあってことは業界の人たちはみんな知ってたと思うけど。

一時期でも業界にいた私にとっては感慨深い話です。

2011年にGoogle入社した当時、国内広告市場に占める売上シェア(%)は1桁台でした。絶大だったのはテレビ広告、次いで新聞などの紙媒体広告、そして、リスティングやバナーなんかのオンライン広告に投下される企業の広告予算は…ほんのちょびっとだった時代。

環境面では、そこから、グローバルな潮流として、デバイスのモバイルシフトがすごい勢いで進展しました。

iPhoneとAndroidがカリフォルニアから風をふかしてガラケーを吹き飛ばし(iモードのおかげで、日本はそもそも携帯端末を使う人の割合は他国より高かったのですが)、次いでパソコンユーザの時間も喰うようになって、あっという間に日々のクエリ総数(人が検索欄に何か言葉を入力して調べる数)も、スマホ > パソコンになり、歩きスマホなんかが社会問題となり・・・

飽和しかけのセキュリティソフト業界から転職してきたわたしは、最初はトップライン(売上)のために全力疾走できる桁違いの成長率に驚いたけど、その市場ポテンシャルを見て、ああ、Googleはまだこれからだなと納得したものです。

オンライン広告のいいところは、なんといっても、その投資対効果が明快な数字として出るところ。

テレビ広告の場合、ある企業がCM展開する時に効果を予測するための指標はあるものの、それはいわゆるアテンションに関わる間接数字だし、広告代理店に頼んで出てくる検証レポートはだいたい我田引水に調整されたものなので、まず、信用できませんでした。

そういうのは、自分で手を動かさず椅子にふんぞり返ってるエラい人?は騙せても、案外事業会社で必死にマーケティングしてる人が見たらすぐにわかるものなので(前職市場リサーチ担当だった時は、広告予算の最適化のためにしっかり独自分析をしてました)、社会のいろんなところでじわじわと可視化が進む中で「テレビ広告枠を抑えている代理店って…その大金を払う価値が本当にあるのだろうか?」と。だんだん、みんな、気が付いてきたんだよね。「下請け制作会社に対してはずいぶん偉そうに買い叩いているようだが…?」と。

そして追い打ちを書けるように、社会的にも、皆が働き方を変えなければとか、ハラスメント・バスティングとかコンプライアンスとかバリューチェーンだとかの新しい価値観が押し寄せてきた。

もと電・博の人がみなそうだとは言わない(なかには非常に優秀で真摯な人もいる)けれど、一部、伝説になるような雑なお金の扱いをするツワモノが生存を許される環境であったことも事実なので(考古学的興味があるならホイチョイ・プロダクションズの「気まぐれコンセプト」などをどうぞ)、あっというまに、当事者たちが薄々気がついているよりも酷い具合に、電通・博報堂のイメージが地盤沈下していたんだと思います。

本来は大手広告代理店は「社会的認知のプロフェッショナル集団」、なのに、それが「人の無知につけ込んでお金を巻きあげる偉そうなやつら」というイメージ優勢になるなんて。

…最近の、かわいそうなワニのネット炎上を見て、そう思いました。

色々論点あるみたいだけど、個人的には最初はマネタイズをかんがえることを責める意味がわかりませんでした。嫌なら買わなきゃいいじゃん。けど、そこで「電通案件」て言葉が使われていたのが興味深くて。それは一昔前なら栄光の言葉だったはず。潮目の変化を読み損ねたのは私たちの世代なのか、案外、舞い上がった若いマーケッターだったりしてね。

それにしても、西暦2000年に大学を卒業してAppleに入社した私は、はっと気が付いたら社会人20年目。ボンダイブルーのiMacなんて、今年成人する人たちにとっては自分が生まれた頃の製品なんだね。

諸行無常。株価がうなぎのぼりの時代のApple/Googleに勤めていた私の経歴は、今はまだ「すごいですね」と言われることも多いけれど、それもいつまでもイケている感じではないだろうよ。

そこで生き方を教えてもらってきた御恩は尽きませんが、「所属していた組織」ではないところで自分を語れる生き方をしていきたいです。

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