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愛がなければおおよそ労働は空虚

2歳4ヶ月のあーちゃんがイヤイヤ期の真っ盛り、一つ損ねたらもう大変。

今朝なんか、保育園に預ける時、何かが気に入らなくてフンギャーとひっくり返り、私がコップや連絡帳やロッカーの衣類などを整理をしてから振り向くまでの数十秒で、エア背泳ぎ(もちろん水はないが、あおむけで足をキックキックして、頭の方向に床を滑っていく)で10メートルほど向こうの壁まで行きつき、なお怒り続けていた。

踏んだ地雷が何だったかは、些末すぎだし種類も多すぎなんで、もはや覚えていない。世界の全部が気にいらず、一度火が付くと泣き止み方が分からないわけだ。こちらも泣きやませ方が分からないので、幼児を保育園に預けるという結構複雑な手続きが一段落するまでは、ノイズキャンセラが自動で立ち上がってしまっていたのである。

しかし、家に向かって大急ぎで自転車をこぎながら、保育園の先生からは、あの大音量をスルーするなんてネグレクト系だと思われたかも?泣き声にすぐ応答しないと子供の自己肯定感がどうとかなんとかなるんだったっけ?しかし、あそこで抱き上げてもエビ反って長引くだけだしな~、と、少し反省しながら?思い出したのが、ちょっと前に学生さんから「まきさんは何のために仕事していますか?」ときかれたこと。

その時はつい、好きなレバノンの詩人の一説を引用して「愛がなければおおよそ労働は空虚」的なことを答えたのである。

そう、今の私が何のために仕事をしているかっていうと、突き詰めて考えると、まあ、愛のためなのである。

ここで、超お勧めの一冊「大好きって手をつないで歩くこと

「大好きって」は、原文では「Love is...」

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私は常にそういうことを考えているような慈母ではないが、あーちゃん(ヨーヨーも)は、時々「わたしなんて全部くれてやるわ」という思考停止レベルにかわいいな~と思う。特に眠っている時。Love is my boy and girl!

あーちゃんは見事な平たい顔族だし、巾着頭だし、華奢で小さいくせに声ばかりは野太いし、怒られて気に入らないと非常にふてぶてしい表情をするし、服を選ぶにも靴を履くにも道を歩くにもご飯を食べるにもありえないほど時間がかかってめんどうくさいんだけど、余裕があるときに向かい合っている分には、それも、かわいいと思う。

幸せに、楽しく、生きてほしい。そのために、彼らを取り巻く周りの人たちにも幸せになってほしい。そのために、私は世界を良くすると信じる仕事をしているはずなのだ。

なのに!時々、時間に追われていると、ついその愛の根源を放ったらかすという本末転倒を、私は頻繁にやらかしてしまう。

基本的に仕事が大好きなんだが、根源で私を駆動する別の大好きな愛をないがしろにしては、そもそものエンジンを失うことになる。バランスとるのむつかしいけど、そこがんばらなくっちゃだね。

自戒も込めて、以下「労働について」を紹介します;

生きることは闇だ、とは、あなたの聞いて来たこと。あなた自身も疲れたとき、疲れた者が言うその言葉を繰り返します。

しかし私は言いましょう。

まことに生きることは闇。もし、そこに衝動がなければ。そして衝動は盲目。そこに知識がなければ。そしておよそ知識は空虚。そこに労働がなければ。そして労働はむなしい。そこに愛がなければ。

愛をもって働くとは何か。それは、心が縒り出した糸で布を織ること。あなたの愛する人がそれを身に纏うかのように。また、想いを込めて家を建てること。あなたの愛する人がそこに住まうかのように。そして優しい心で種をまき、喜びに満ちて刈り入れること。あなたの愛する人がその実りを食べるかのように。

労働、それは目に見えるようになった愛。

愛なく嫌気のみで働くなら、むしろ働くのはやめて、神殿の門のわきに座り、喜びをもって働く者に施しを乞うがよい。

なぜなら、心を込めずにパンを焼けば、出来上がるのは苦いパン。それはひとの飢えを満たしはしない。いやいやながら葡萄を搾れば、その吝嗇が葡萄酒に毒を盛る。たとえ天使のように歌っても、歌うことを愛せないならば、かえってその歌でひとの耳を塞ぎ、ささやきかけてくる朝と夕べの声をせきとめてしまうのです。

引用元:「預言者」カリール・ジブラン

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