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考えることの信者

古巣の外資系企業勤めの友人は、この春早々からリモート・ワークという人が多い。もともとフレキシブルなその視点からすると「テレワーク 働きぶりの“見える化” 導入広がる」なんて記事はネタとしか思えず、仲間内のメッセンジャーで「うわー、ホラーだ」「結果ではなく定時に着席してることが大事ってこと?」とひととおり盛り上がった。

一斉にラインを動かす工場とかFTE配置が肝心なコールセンターとかは別として、普通の事務職・営業職でもランチ時間まで上司に管理されるって…

普通に考えて、それって社畜だよ!

でも、外資系企業勤務の社員というのは、約63万人で全労働力人口の1%強しかいないので、信じたくはないけれども「いや、その社畜が普通ですよ」という感想のほうがマジョリティなのかもしれない。

最近、ZOOMのセキュリティが!というニュースもあったが、実は最大のセキュリティ・ホールは人間なので、これからリモートが進むなかで、いろんな珍問題がどんどん出て来るだろう。

その混乱の中で、偉い人が「キェーィ、セキュリティ!」と変な方向に木刀を持って走り出さないか心配だ。

立ち上がれ、若い世代!今こそ考えて幸せな未来を拓くのだ。良くも悪くもその回収を担わない人たちに判断を預けっぱなしにしちゃだめだよ!

とはいえ、思い出したのは、最近朝早くに駅前のパチンコ屋の横を通ると長蛇の列ができていたこと。みなさん、入店前に係の人が殺菌消毒スプレーをシュッシュするのを黙って手に受けている様子がシュールだった。

それは私からすると恐ろしい思考停止の図式に見えたのだが、彼らはまさにその思考停止がしたくて、そこに足を運んでいるのかもしれない。

「自分で考えたい」というのと「考えたくない」というスタンスの違いはどこからくるのか。ランチの時間を上司に決められて構わないというのも思考停止したいモードの延長なのかな。

そういえば、まだ会社に出たての頃「努力しても人間ってあんまり結果は変わらなくない?だから自分はあんまり頑張らないんだよね」と言った同年代の人がいて、私とはずいぶん違う種類だなって驚いたことがあった。文脈は忘れたが、その言葉には心は微塵も動かなかった。

考えることって、あるいは努力をすることって、決して楽ではない。その方が絶対にいいことがあるよとも言い切れない。考えているつもりでも実際にどこまで考えられているのかさえ、よく分からない時もある。

それでも、私は、自分で考え続けるスタンスを手放したくないんだよ。

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