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MOTHER2が導いたゲーム業界への道のり、人生の価値観

任天堂の名作「MOTHER2」と出会ってから田舎町から上京し、ゲーム業界で仕事をするようになったうきょうです。

いや、厳密に言いますと
「MOTHER2」のキャッチコピーと、
「MOTHER2」の攻略本、テキストによって、
人生を動かされた人間でした。

今回は、その変な変遷、ゲーム業界に入るまで、
そして生きているまでの過程を少し書いてみたいと思います。


糸井重里という天才が書いたコピーで人は動いた


大人も、子供も、おねーさんも。

Twitterから引用してきた上の広告ですが、当時スーパーファミコンで発売された「MOTHER2」の広告のキャッチコピーでした。

このコピーを書いたのは糸井重里さんですが、このコピーが私の夢の原動力、行動の原動力にもなっています。

そしてそれは20年以上の時を超えてもいまだ影響を与え続けている原動力になっています。今回はそんな夢の作品のお話です。


「MOTHER2」とは?
コピーライターの糸井重里がゲームデザインとシナリオを手掛けてた、1994年8月27日に任天堂より発売されたスーパーファミコン用RPG。
3人の少年と1人の少女が宇宙人「ギーグ」の地球征服の野望を阻止するために広大な世界を冒険する姿が描かれる物語。

普通の少年、少女が日常の風景に起こる非日常的な出来事がだんだんとドラマチックに展開していく様子や、どこか憎めないモンスターや登場人物が満載で、童心のままの状態でドキドキとワクワクを終始体験させてくれる。

風景、音楽、そしてなによりもセリフ回しが秀逸で、シーンが記憶に焼きつくほどに記憶に残る。

ゲームファンの間では説明不要の名作ですが、本当に子供にも大人にもおねーさんにも夢や希望や感動、そして心躍る冒険をさせてくれたRPGです。

今のキッズたちは主人公ネスがスマブラに登場するので、知っている人も多いです。
糸井さんと任天堂の岩田社長の対談さえも、今では名作。糸井重里さんは、今でこそ「ほぼ日」っていうブランドの手帳とか、グッズなどを展開していますが、有名なコピーライターさんです。
遊び心が満載で、ゲーム業界の人ではない方。芸能界で例えると所ジョージさんみたいな人です。

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ゲーム業界を目指したきっかけが
MOTHER2の攻略本


MOTHER2が発売された当時、私は当時中学生でした。当時はそれほどお金もありませんでしたが、ゲームはとても効果で興味深いものでしたから、スーパーファミコンを持っている友達の家にいりびたったり、ファミ通を読んだりしては、プレイした気になったりと、期待に胸を含ませていた学生時代でした。

当時はインターネットがない時代でしたから、情報源を入手すること=ほぼ雑誌、本のみでした。1994年頃はゲーム情報誌は結構たくさんありましたから、情報の入手手段にはそれほど困らなかったわけですが、何せ私がすんでいる九州のド田舎には本屋がないので(w)、家から1時間ほど移動した駅前にいかないと本には出会えなかったわけです。

そんな時に出会ったのがこのMOTHER2の攻略本でした。

まぁこの本ってとてもすばらしくて、ネスの一人称の視点で日記風に記事が書かれているんですよね。

ネスの気持ちとか、友達の気持ちとか、外に出て不思議な体験になった時の気持ちとかをことこまかく冒険譚のように描かれていて、読んでいるだけで本当に楽しい本なんですよ。

書いているのが糸井重里さんなのですが、本当に本1つをとっても遊び心満載で、攻略本なのに袋とじがあったりとかね。


そして背表紙に落書きの転写が書いていたりとか、もう本当ににくい。本1冊でこんなに人の心を動かすことができるんだって子供ながらにものすごく感動しました。


なんか知らんけど、ライターを目指そうと思った


で、ゲーム業界を目指そうというよりも、とにかく糸井さんみたいな仕事がしたいと思って、ライターという物書きの仕事があるんだということを初めて知ったわけです。中学生で。

けど私はお家の都合で、中学卒業後は働くことになったのですが、それでもライターという仕事を諦めきれなかったので、コツコツお金を貯めつつ、なけなしのお金を持って19歳で上京したんですよね。

そこで、物書きになりたいと思って、本当にいろいろな出版社というか、本を出しているところに飛び込みで営業しに行った。未経験の未成年がw

我ながら恐ろしい行動をしてると思いますね。ただの馬鹿だよな。


100%の門税払い率w


当たり前です。そもそもライターって何?な感じだし、未経験、未成年。物書きになりたいんですっていう話を聞いてくれる人なんて一人もいない。

そりゃそうかと。

そこから先はどうしたのかというと、でもゲームは詳しいからゲームに詳しい人に話をきいたら、少しは何かできるんじゃないかと思ってたので、とにかくゲームライターという職種の人を探しに探しまくりました。

するといたんですよね。ゲーセンに。

当時はゲームセンター大活況時代でしたから、スタープレイヤーがとにかくゲーセンにたくさんいたわけですよ。

そこでとにかくいろいろな人に話しかけたり仲良くなったりして、当時「ゲーメスト」っていうアーケード専門誌でライターをしている人と知り合いになりました。

そこから人伝の人伝を辿りながらライター経験者と出会うことができ、仕事がどうしてもできないかという話を聞きつつ、雑用中の雑用などをしながら、徐々に出版の仕事がどういうものかと知ることができるようになりました。


編集者って何?


ライターにはまだ慣れていませんでしたが、編集者という仕事があるということをそこで初めて知りました。

まだ記事制作の仕事もしばらくありませんでしたが、雑用中の雑用をこなすうちに、打ち合わせには参加させてもらうことができたので、そこで編集者という人と話をする機会があって、そこで初めて本を作る「編集者」っていう仕事があることをしりました。

そこでなるほど「編集者」になれば好きな本が作れるんじゃないのか?というよくわからん発想になってからはもうなんかむちゃくちゃやってました。

個人だと仕事がいくら営業してもとれないから、いきなり会社作ってみて営業してみたり、3ヶ月5万円の仕事をしてみたりとかもう本当いろいろやってみました。結果としては半年ぐらいで会社を潰すことになったのですが、その経験が生きたのか、なぜかソフトバンクっていう巨大企業に就職することができました。


念願の出版社で編集者になる


めちゃくちゃ幸いなことにソフトバンク、当時は出版部門がありまして、(厳密に言えば今もソフトバンククリエイティブという社名で書籍を出し続けていますが)そこでゲームの雑誌と編集をやることができました。

もう本気で嬉しかったですし、めちゃくちゃ働きました。1週間に1回しかお家に帰りませんでしたし、毎月300時間ぐらい働いてました。仕事が楽しすぎて。

そこでとにかく仕事をしまくってありとあらゆるクリエイターさんに取材をさせていただいて記事を書いて書いて書きまくってとにかく知見を貯めまくりました。


俺はゲーム開発者になる!


で、その後はいろいろな転機が訪れました。ソフトバンクがブロードバンド事業を展開する時、Yahoo!BBにあわせてコンテンツの開発をやるぞということになりました。

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ADSL!思えばこの頃から上戸彩さんでしたか。

その際にはこれはチャンスだと思って、ゲーム開発側の方に行けるのではないかと思って、雑誌の編集をやらせていただきつつも、ゲームの宣伝側やマーケティング、開発側の方に徐々に意識して潜り込むようにしていきました。

その結果、いろいろなゲームの販売、宣伝、PR、マーケティングから、ディレクター、プロデューサーへの道を駆け上がることができました。


MOTHER2のような作品を作りたい


これは1994年の中学生の頃から忘れたことはありませんでした。そこからいつかMOTHER2のような作品を作りたいと常々考えていたわけですが、これまたチャンスが巡ってきたわけです。

「万人向けのオンラインRPGを作ろう」

それがこれでした。「チョコットランド」


チョコットランドは2020年でサービス13周年を迎えるわけですが、私は10周年目までプロデューサーとして制作、運営、マーケティングもやらせていただいておりました。

この作品は本当にMOTHER2のような、みんなに愛される作品にしよう、親子で語り継げるようなサービスにしようということをずっと考えながら運営をしてきました。


「おとなもこどももおねーさん」にも
愛された作品になっていた


そこで1つ得られた結果がまさにこの見出し通りのことでした。MOTHER2の規模とは到底比べ物にはなりませんが、私のなかでは1つの目標に少し近づけた瞬間で、体感できたのは2013年〜2017年にかけて全国を行脚したときでした。

本作品でオフラインイベントをほぼしたことがなかったので、自ら企画して自ら場所を借りて、チームでグッズを作って自分たちで梱包して全国を回りました。

その時、アンケートやイベント参加申し込みのときに、「ベビーカーで来ていいですか?」っていう問い合わせがあったんですよね。

これはもう最初から決めていたことで、親子、小さい子供がいたとしても、イベントには来てもいい環境を用意したいということを常日頃から言っていたので、それが実現できました。

オフラインイベントではまさに老若男女のお客様、たくさんの冒険者が集まってくれて、小学生の頃からやっていました、とか。おばあちゃんが特典を楽しみにしているから持って帰ります!とか、家族間で楽しんでくれている人もたくさん出会えました。

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また、イベントも長い間やっていくうちに、初めて出会った時は中学生、高校生、大学生の方が、今では結婚して子供が生まれましたとか、子供と一緒にまた遊んでいますっていう報告を今ももらいます。

私自信も10周年のときにゲームもやめてしまいましたが、3年ぶりにゲームを遊んでみたら、覚えてくれている方や、知っている方がたくさんいて観劇しました。

その時の記事がこちらです。


こどもにも夢を与え続けたいし
いつまでを夢を追い続けたい


そして今は二人の子供を持つ父親ですが、よくnoteにも書いていますが、よくゲームで遊んでいます。

私の家庭では昔は「ゲームなんて!」っていうような環境でしたし、遊ぶことに後ろめたさみたいなものを感じていましたが、今ではそれを本職の1つとして継続できていることに幸せと誇りを感じています。

幸いにしてLINE株式会社にもスカウトされて入社でき、みんな大好きなんとかツムツムとか、なんとかウォッチの頂点をみさせていただくこともできました(私はなにもしてないけど)。


私のこだわりの原動力


いずれにしても1つの根底にあるのは、誰かに対して影響を与えられるような作品を作りたい、作り続けたいということと、1つの作品を「おとなもこどももおねーさん」にも、末長く愛されるように育てたいということです。

これはゲームだけに限らず、ビジネスでもそうですし、人と人との繋がりにおいてもそうだということです。

そしてこれは自分の子供の対してもそうだし、周囲の人にもそういう影響を与えられたらどんなに幸せだろうと。自分がここにいる意味なのかなと少し感じながら、これからもこだわりをもって楽しんでいきたいと思っています。


あの星野源さんも絶賛する「UNDERTALE」。製作者のトビーフォックス氏は、「MOTHE2」などにも多大な影響を受けて作ったと言われています。強き想いや名作は時代や国境を超える証明ですね。








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