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全米NO1になれるカラクリ〜数字、評価に騙されるな〜

フリーゲームプロデューサーのうきょうです。

先日、但木さんのnoteエントリーをみて思ったことですが、我々エンターテインメントに携わるものとして、ランキング、レビュー、数値に関する評価については一層気をつけないといけないなということと、我々は一生数値や評価から逃れられないんだということを再確認しました。

今日は、巷に出回る数値、ランキング、グラフなどについての取り扱い方や気をつけるポイントについて触れてみたいと思います。

私のポリシーとしては、表に出ている情報はすべて疑え!であり、仮にその情報が正しくてもリスクを許容して自己責任で受け止めろです。

エンタメの点数化とレビューの数値化は個人的には反対です。過去ゲーム雑誌の編集をやっていたときもレビューの点数化は本当に糞食らえと思っていました。


全米NO1ってだれでもNO1になれるカラクリがある

映画の宣伝を見ると、だいたい全米NO1って書いていますよね。

あれってどういうことかわかりますよね?

特定のジャンル、特定の期間、特定の地域、特定の部門、調査した機関などなど、いろいろな条件でNO1になる条件を探し、1位になる部門を探し出す。そしてそれを条件設定して無理やり「全米NO1」って入れているテクニックです。

つまり、日本で放映しても、条件を整えば意味がなくても全米NO1なんですよ(極論)。

じゃぁなんでNo1っていうのか?

簡単です。注目度を集めるためですし、第三者の感情や行動、視点を操作するためです。


数字は人が作り出した発明品


数字という概念は誰もが客観的に物事を計るモノサシとしては最大の発明だと思っています。たとえば重さ身長血圧、体脂肪、降水確率、コロナ感染者数、物品の価格など

このように、誰が見ても一律の指標になり得るものや、ある程度の人が利用しても、ある程度共通の恩恵が受けられる(感じ取れる)ものであれば、数字化されていることはとても利便性は高まるものです。


複雑で繊細な表現の「評価」「数値化」されたものを
我々はどう受け取るべきか?


しかしながら、食、芸術品、表現、エンターテインメント、役務の提供など、そもそも表現されるもの自体がとても繊細でアナログで複雑なものに対して、同じように複雑で繊細でアナログな人間が評価して数値化するというのはとても難易度が高いのはお分かりの通りです。

仮に人が数字化をするのであれば、その数字をつけた理由、意図、前提を添えておいたほうが親切であり、その情報を受け取る人は自己責任で受け入れるのが本来の正しい情報のやりとりだと言えます。

できればこういった背景を知っている前提で、点数をつける人も、受け取る人も1つの情報として数字を受け止められたら理想的ですが、そういう手間をいちいちかけられるわけねーだろ!ってのが本音ですよね。


数字の整理は必ずバイアスが入っている


仮にどんなに客観性な数字や指標だとしても、生データを整理してそれを見せてくる人は、意識、無意識に限らず、見せ方は編集されている。またはその設計者のバイアス(偏り、偏見、作為的なことがある)ということを知っておくといいです。

それは意識しようが無意識だろうが、人はみな強固な色眼鏡(人生脚本)を持っていることが理由の1つ。そこに悪意だろうが、善意だろうが関係なしです。確固たる価値観や評価基準がその人なりであるということです。


ゲーム嫌いな人がゲーム禁止案のアンケートを
採取したら禁止に導かれるような結果がでる


極端な事例ですが、ゲームが嫌いな人、ゲームを禁止にしたい人がゲームの禁止法案に対して賛成ですか反対ですか?というアンケートを取らせたとしたら、その時点で、自動的にそのアンケートを採取する人は、ゲームが嫌いそうな人がいそうな場所に対してリサーチをするようになりますし、結果上がってくる数字も意図的に「反対」になるような行動をし続けます。

意味わかります?

世の中無作為にアンケートをしているように思いますが、そんなことはないんですよ。TVでアンケートを取れば、比較的高齢者の意見が集まるし、インターネットでアンケートを取れば、インターネットにリテラシーが高い若い人の意見が集まりやすいんですよ。

そこに公平性はない。

だからこそ、アバウトな物事に対して俗人的な評価をするだけならまだしも、そこを数字化してランキングにしたり指標にしたり、第三者に大々的に見せるということは、いろいろな意味で多大な影響度があることは自明です。

世界的な演技を採点、評価するスポーツもそうだし、お笑いもそうだし、芸術、音楽、ゲームもその1つです。


資本主義で生きる以上、数字は必ずつきまとう


そういう前提がある中でも、私たちは資本主義の世界で生きています。そのため、何かのランキングや指標が必ず付きまといます。

それはなぜか?

シンプルにお金になりやすいからです。お金でなくても経済と利権が動くからです。

資本主義の世界では、いかに経済を効率よく動かすかが命題になっています。その効率よく動かすためには、数字を使う、ランキング化する、指標を点数付けする、ことなんですよね。

それが一番効率よく人々に印象付けることができるからです。

評価の数字化、ランキングというのは、企業努力によってよりよい評価を顧客から得て、より安心安全でサービスを低コストでわかりやすく伝える方法の1つとして最適だとは思います。

だからこそ、ランキングも評価もお金で買おうとする不正もおきるし、意図的にランキングを操作しようとする人が多数現れるわけです。

しかしながらランキング、評価というのは影響力があるということです。その一方で、不自然な高評価は疑われるようになりやすいのも事実であり、今でも意図的にランキングを間接的に操作しようとやっきになっている方が一定数いるということも事実です。


数多くの不正が起きやすくなる


粉飾決算も数字に踊らされた代表例です(もちろんそれだけじゃないですけど)。会社の時価総額を高く見せようとして虚行の数字を作り出す。その理由は、自社の価値を高く見せるために株価を高く維持するため。業績をよく見せるためです。


ゲームでも起きる不正


2019年に起きた「最果てのバベル」のランキング不正問題。セールスランキング操作のため、役員までが加担していた不正問題。そのままサービス終了へ突入しました。開発費用は10億クラス。それが一瞬で飛んびました。

何のためにこのサービスが作られたのか。関わった人はどう思ったのか。悲しくてしょうがない。


食でも起こりうる


「食べログ」に関しても一時、有料会員じゃないと一定値ポイント以上が上がらないんじゃないかという噂が出回って公式が運営ポリシーなどをプレスリリースし、その後に詳細なガイドラインを提示しました。

TVのキムタクのグランメゾントウキョウじゃないですけど、ミシュランの星をとるために不正や政治をしかけるドラマが成り立つ。食という複雑で繊細なものを、数字と評価で振り回す理由は何だろうか? それは権威や利権を得るためではないのか?


数字は人を操れる道具にもなる


数字というのは非常に危険でやっかい、間違えた指標などを提示することで大きな誤解を流布することも簡単にできてしまうというとても恐ろしい道具でもあります。

そして、その数字を意図的に操作し、人やもの、経済をも操作、誘導したり、自らの権威性を示すために乱用する人も多いわけです。

常識的に考えたら馬鹿だろとしか思えないけど、これらの情報を鵜呑みにする人が多いこともまた事実。数字を意図的に操って、情報に弱い人をカモ煮する人は本当に多いわけです。


数字、グラフはまず疑え


そもそもですが、アンケートにしても、資料に書かれているグラフデータは、製作者が第三者に対してどのように捉えてほしいのかという明確な意図をもって都合よく作っているわけですから、それを鵜呑みにしてはいけないということです。

数字が仮に嘘でなくても、見せ方や編集にテクニックを活用してあなたを操作しようとしている場合があります。


▼これは河合塾の有名なグラフ。
2016年は前年より引くやんけ!勢いでごまかすなやw っていうネタみたいな広告。

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▼我が同郷ソフトバンクの決算
誇張しすぎなやつw

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このあたりはこちらのnoteに詳しくまとめられているので取り扱いのトリックはしっておくといいかもしれません。

このソフトバンクのプレゼンのような資料の見せ方は割と営業マンなども一般的に使うことが多い演出技法です。数字自体は嘘をついていませんから、嘘ではない。ただ。見せ方の誇張だけが行きすぎたレベルですね。

(参照元:けんけんさん)


数字に踊らされないために気をつけること


結論からですと、どの情報が正しいのかを見極める、そのために情報を深く読み解くことがとても重要です。正直今は情報が洪水で玉石混交なので、どれが正しいのかさえも判別が難しいフェイクもとても多いです。

それが仮にTVであったとしてもです。

ゆえに、あなたが受け取る情報は基本的には自己責任で判断する必要があります。

仮にレビューや数字化されたものを見た時も、実際の利用した感想、体験した感想に注意して、問題点があるならば、それを理解した上で価格や時間、リスクを把握した上で手に取るようにしましょう。あからさまな虚偽情報を掴んだ場合は、消費者センターに遠慮なく相談もしましょう。


信頼性はどんどん下がる


つまり権威性や数字が逆に作りやすいという環境はどういうことかというと、それだけ信頼性や信憑性がなくなるということです。

だからあまりにも度が過ぎた評価は仕込みだの、ステマだのと言われるようにはなりやすいわけですが、正直個人的にはそれも自己責任で受け入れよという感じです。


結果的には虚行はリスクが高く
長期的なメリットはなにもない


では仮にですが権威性や数字が借り物だった場合にどうなるのか? 簡単ですね、すぐに失墜するわけです。だって実が伴わないわけですからね。信頼を失ってしまう。

そうするとそれを提供しているものとしては長期的な関係性が顧客と撮り続けることができなくなります。

つまり、短絡的に操作した数字、評価、指標というのは長期的に見たらマイナスになる可能性がでかいということです。それを仕掛けた人にもそれなりのリスクや代償が出てしまうことですね。

それでいいのか?ということでもあります。


PS

明日はゲームのレビュー、ゲームのストアランキングについて書いてみたいと思います。

いただいたサポート費は還元できるように使わせていただきます! 引き続き読んでいただけるような記事を書いていきたいと思います。