地方を考える中で、経済成長について思ったこと。

経済成長というのは、果たしてよいことなのだろうか。

これからの経済成長を思考し期待する人はいる。彼らは大抵、新しいリソースが増えるので、それを使えば新たな成長は可能だという。今日大学でお話を伺ったマネーフォワードの辻社長も、そう考えていらっしゃるようで、言葉の端々にそれを感じられた。自分の関心領域を持ち、どこのレイヤーを抑えるか認識して行動することだ。そうすれば新たな価値を作り出せる、と。
しかしよく考えてみたい。本当にそうなのだろうか?

我々は同等の価値に金を払い、成長している。世の中の価値総量がGDPであり、計算方法を考えれば単位当たりの価値×個数になる。その値を、社会全体で最大化しようということだ。イノベーションにより新たな価値が創出されれば、成長も可能だとよく言われる。

このような発想は旧く、ケインズにより創始されたミクロ経済学に基づくと考えられる。失業への対応策として、雇用需要の増大を推進したからだ。以来、企業もその形をとり、供給曲線を右へ右へと押しやってきた。それにあわせて、需要曲線も右に移行していった。

なぜ移行したのかと言えば、想像できないことではないだろう。需要が増えたのだ。様々な要因があるが一番は、人口増加である。マッキンゼーの調査によると、都市化によりGDPは1.6倍になる。それだけとは言わないが人口は、それだけ大きな変動要素なのだ。

ここで本題に戻ろう。経済成長は良いことなのか?

私の考えは、「是非を問うものではないが求めるべきではない」である。なぜか?答えは単純、「人口が減るから」だ。

日本の人口は、もう縮小に転じている。世界的にも、21世紀中頃には、減少に転じるだろう。であれば、経済的な価値は当然、落ちざるを得ないと考えられる。この実例は、我々の住む日本に、そっくりそのまま当てはまる。

実は、日本のGDPは、この20年間上がっていない。いわゆる「就職氷河期」の時代から、ほとんど伸びないのである。人口が1億2000万人近辺をうろうろしているために、伸ばしたくても価値総額を伸ばせないのが実情だと考えられる。

中国のことを思い浮かべる方も多いのではないだろうか。あの国は人口を抑制したのに成長している。しかしあれは「今まで産業が浸透していなかった所に商売がやって来た」だけに過ぎず、この事例は人口減中の成長を保証するものではない。それよりも寧ろ、「浸透しきったコミュニティでは成長が難しい」という現実を、前の例も相俟ってつたえるものなのである。

日本はこれから、コレラ大流行並みの人口減に差し掛かっていく。この中で国家全体の成長を志向したところで、意味はないのではなかろうか。もちろん法人の成長は必要かもしれないが、テクノロジー変遷の関係上、随時フィリップスと同等レベルの人員整理と事業変更が必須だろう。それに耐えてもなお、国家や世界規模の持続的な全体の成長は不可能である。

20年間、どれだけ諸先輩方が努力しても、国全体の価値は上がらなかった。ITという大きな技術革新があったにも関わらず、である。我々も同じようなものだろう。であれば、いかに経済的な価値を減退させながら、我々が生きていけるようにしていくかを探らねばならない。それが、私の世代の使命ではないだろうかと、最近の私は思ってしまうのだ。

※この投稿は、SFC開講科目、月曜日第4限「ネットワーク産業論」ゲストスピーカーの感想に、加筆修正を加えたものです。

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