焼いて食う
「いっそのことあいつ、焼いて食ってやろうと思うんだ。腹立つから」
「何の話」
「だからあいつだって、シノブ」
人をバーベキューに誘うなり、冬実は物騒なことを言う。
「さすがに丸ごと焼くと気味が悪いし、だいたいみんなにバレちゃうでしょ。まずはバラバラにしないとな。ねえ、手伝ってよ」
「いやだよ」
夏に生まれたのに冬実とは、両親が冬の情緒を愛してつけた名前なのだろうが、やはり生まれた季節は体を表すのか。その名との、しみじみするほどの違和感が、長く付き合っても毎度抜けないのがこの冬実という人だ。午睡の後にわざわざ熱いお茶を飲むような、気だるい夏が似合う。海へ行こう、水着になろう、ビールがうまい、という夏では、ない。今日もタンクトップを長くしたようなワンピースの上に羽織った半袖のシャツが、左右非対称に着崩れているのが不思議と様になっている。そんな冬実がバーベキューとはらしくないが、間々田君の発案だと聞けば、合点が行くような、行かないような、少なくとも冬実が言い出したのでないことには納得できる。
冬実が腹を立てているシノブ君とは、私たちよりだいぶ年下の男の子だった。じゃれつくのがうまいけれどべたべたしない、気まぐれだけれど、振り返れば定位置で何食わぬ顔で待っている。そんな、猫のような子だ。冬実がシノブ君に、ちょっとした「道ならぬ」思いを抱いていることに気づかないではなかったが、その思いが一方通行なのか、密かに両方向に開通しているのか、どうも後者に思えるのが危うい。「道ならぬ」恋になる他ないのは、冬実にれっきとした恋人がいるからで、それが間々田君なのだった。あからさまに気づいた人がいなさそうなら黙っておく、誰にも、もちろん冬実にも。それが今のところの私の見解である。
間々田君にもバーベキューは似合わない。いつもニコニコしていて、真面目で、いい人だが、バーベキューは似合わない。真面目すぎて、何を話して良いのだか、よくわからなくなる人だ。だが、天気の話に始まり、最近見た映画、流行っている変な言葉、新世代のスマホに搭載されるらしい機能、などなど、絶妙に当たり障りのない話題の引き出しが豊富なので、流されていれば「楽しく会話した」ことになってくれる。実にいい人だ。
「間々田君の高校の友達に、バーベキュー名人がいるらしくて」
「名人?火をおこすとかそういうの」
「わかんないけど、バーベキュー奉行みたいな人だって。その人が一緒にやろうっていうから、来てよ」
「いいけど、どこで、何人くらいでやるの」
「ほら昔、急に凧揚げしたくなって行ったあの公園、バーベキュー場があるらしくて。その名人と、もう一人同級生の男の子が来るって」
「じゃあ、女の子呼んでこいってことなの」
「別に、なんでもいいんじゃない」
「そうは言っても期待してるかも。牧野呼ぼうか」
「うん、任せる」
冬実にありがちなことではあるが、遊びの計画を立てているというというのに、鬱々と沈んだ声で話す。かと思えば、いっそ焼いて食おうかと来るのである。
冬実と間々田君とは結婚の約束をしているという噂があった。むしろ、「結婚だとかそういう形にはこだわらず、一緒にいようよ」とか何とか大真面目に言いそうだというのが私が間々田君に持つイメージだが、冬実が別れたいといえば、彼はぐずぐずと未練を見せたりはしないのではないだろうか。「冬実ちゃんがそうしたいなら、しょうがない」そんなふうに、まっすぐな目で、言うのではないか。
平日の昼間のファミレスで、偶然冬実とシノブ君を見かけた。そっと離れた席に座り、声はかけなかった。シノブ君の前には、ドリンクバーのありとあらゆるお茶の残骸が並び、冬実はコーヒーを飲んでいた。二人は黙りがちで、だが時々爆発的に笑った。あれは何杯目のコーヒーだったのだろう。
冬実には、自分なりの誠意だか仁義のようなものを、人に対して頑なに通すところがあった。だがそれは隠された顔で、見える部分はとにかくとらえどころがなく、恋人の選び方はいつも実にいいかげんだ。そうして選んだ前の恋人に飽きていたところへ、折良く間々田君が現れた、そんなことだと思う。続けて現れたシノブ君には、しかし折など良かろうが悪かろうが、冬実の心を捉えたに違いないと、私にまで確信させる何かがあった。
冬実、今までの、投げやりな恋のつけだよ。ここいらで、ちゃんと清算すればいい。
「マグロ解体ショーなら見たことあるんだけど。あと、あんこうの吊るし切り。どっちにしてもよく覚えてないなあ」
「やわな刃物じゃだめだろうよ。出刃包丁、持ってる?」
「ないな。買わなきゃ。あ、でも間々田君持ってたかも」
「不法な使い方をするんだから、そこは自分で買いなよ」
「それもそうだ」
真面目にひとつひとつ話をすれば、きっと間々田君はわかってくれる。だが「真面目に話をする」というのは間々田君の流儀である。それは世間でいう正義にも近いが、合わせることに疲れる人もいることに、彼は気づかない。思うに、冬実は疲れていたのだ。無理に人に合わせるタイプではないが、冬実の全身で発する音のない言葉を、彼が解さなければ、日本語を話せる以上、冬実の方が合わせた形になるのは、仕方のないことだ。知らず間々田君の流儀に合わせていたことにも、別れの手続きすらその流儀に従わねばならないことにも、それらすべてが苦痛であるにも関わらず、彼を選んできた自分自身にも、疲れていたのではないだろうか。そして彼女の発する「言葉」をすらすらと当たり前に解読する人と出会ってしまっては、その疲れを看過するのが難しくなった。というのは、私の推測に過ぎないのだが。
バーベキューの日、冬実はぎょっとするほど大きく重たいキャリーケースを引きずってきた。
「おっ、すごいね、何が入ってるの?」
バーベキュー奉行が、すかさず聞いた。
「後で焼いて食べようかと思って。でもまだ秘密」
「えー、何だろう。馬まるごと一頭くらい、入ってそうだよなあ」
「まさか、馬ってでかいよ、見たことないの」
皆楽しそうだった。奉行の終始上の機嫌も、思えば冬実の大荷物に端を発したものだった。
冬実はすぐに酔ってビールと缶酎ハイを混ぜはじめ、間々田君はまずいまずい、何をするんだと、珍しくはしゃいで飲んでいた。
まだまだ宴が続くと思われた頃、
「なんだか私、お腹がいっぱいですっかり満足して眠くなっちゃった。だからこれ、焼いて食べようかと思ったけど、持って帰るわ」
突然冬実が言い出した。
じゃあ送っていくよ、くらいのことを言えばいいのに、そういう気が利かないのが間々田君で、「気をつけてね」という一言を背に、冬実は一人、ずんずんと去って行った。
何に気をつけろというのか、気をつけないといけないのは自分だろう、私は救い難くあきれた気持ちで彼を見ていた。伊達に言外のニュアンスをたっぷりこめて「いい人」と言われがちなわけではない。キャスターをつけて転がしているのに、冬実の荷物はひどく重そうだった。
トイレに立った時に冬実に電話した。電波が悪く、今時珍しいほどひどく混線していた。
「私、どうせきっとすぐに別れちゃうと思うんだよ。だけどね」
それが間々田君のことなのかシノブ君のことなのか、わからない。
「帰ってこれ、一人で食べるのか。どうしよう」
こちらの言ったことは聞こえていない気配のまま、まだ酔いの残った言葉の断片を残して電話は切れた。
それから冬実の姿を見なくなった。電話も通じずに数日経つ。
「旅行にでも行ったのかも。気まぐれだから」
間々田君は言った。本気でそう思っていそうな能天気さがちょっと怖い。シノブ君も一緒なのだろうか。まさかあの荷物の中に本当に、とは思はないが、彼は今どこにいるのだろう。
行きがかり上、この間のファミレスで間々田君と二人で向き合っている。外は暑そうだが、店内の冷房は寒い。彼は手を組み替えてまた両肘をテーブルにつくと、窓の外を見やり、半分笑顔のまま、寂しげにため息をついた。
ふと、何もかもこの人はわかっているのでは、という疑念が浮かぶ。いや、考えすぎか。ただ、自分でそれと気づかぬまま、皮膚で捉え、皮膚だけで感じるようなやり方で、この人も冬実の「言葉」を受け取っていたのかもしれない。
何だかんだで、自分で選んだわけだよね、この人。でもどうするの。と、ここにはいない冬実に語りかける。
「しょうがないなあ、本当に」
コーヒーを飲み干し、寂しげな笑顔のまま言う間々田君はちょっといい男に見えた。私はなんとなく、冬実が何事もなかったかのように、空のキャリーケースを引いて帰ってくるのではないかという気がした。
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