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忘れられない先生


私は今まで"会って本当に良かった"と思えるほど尊敬できる恩師に出会っていない。学校で特に問題を起こさずおとなしく生活する優等生が先生の記憶に残りづらいように、その優等生の記憶にも先生という存在はあまり大きいものではない。2人は一見仲良く見えるが、実際はビジネスのような関係だ。

数年前、私は母校に実習生として訪問する機会があった。その時久しぶりに挨拶を交わした先生たちはみんな私のことをただ"優しくて静かな生徒"として覚えていた。私も当然、先生たちに対して覚えているエピソードはないと言っても過言ではない。しかも名前すら覚えていない先生も沢山いる。友達から「卒業してそんなに時間も経ってないのにもう忘れちゃったの?」と言われることもあるが仕方ない。ビジネスだけの関係で名刺を交換した人のことを全員覚えるなんて、私には無理だ。

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そんな私にも忘れられない先生がいる。ここでは'm先生'と呼ぶことにする。高校の頃に国語を担当してくれていた先生で、単刀直入に言うと生徒たちには驚くほど人気がなかった。むしろ嫌われていた。m先生はほぼハゲたつるつるの頭を少ない髪で隠した平凡な中年のおじさんで、いつも太い国語辞典を持ち歩き、話し方は優しかったがよく言葉が吃っていた。

生徒たちが嫌っていた1番の理由は授業だった。当時人気だった若い先生の授業は、私からすると大学受験向けの儀式のようだった。詞や小説を理解しやすく教えてくれると評判で、その先生の授業になるとみんな真剣な表情で黒板を見つめ始める。しかしm先生は大学受験を目前にしている生徒に対して、詩を読んで感じたままの感想を書くことを望んでいた。生徒は受験勉強を望んでいた。詩の1文字1文字を強調しながらそれに合わせて足をタンタンと鳴らしていたが、そこが特に嫌われていた理由だ。足を鳴らした後はいつも通り言葉を吃らせながらこう言った。

「さあ。ど、どう思う?」

しかし、むしろ私はそこが好きだった。手まね足まねをしながら詩を吟ずる先生を見るのは教科書に丸を描いたり線を引くだけの単純な授業を受けるよりマシだったし、いつ見ても変わらない先生の淡々とした質問と沈黙は不思議にも作品を自分なりに考える時間を与えてくれた。授業をまともに聞く生徒がいなかったから、いつの間にか国語の授業はm先生と私だけの時間になっていた。「どう思う?」の後ろには私の名前がつき、私だけが36畳ぐらいの教室に浮かんでいる無人島にでもなったかのように肯定した視線を向け続けていた。

授業が終わると友達は「可哀想」とか「m先生キモい」とか私に言ってきた。みんなが自由に使える時間なのに先生が私の名前を呼ぶから他のことができないことが可哀想だと、友達が私に慰めの言葉をかけてきたのだ。私は私で自分勝手に時間を潰しているしm先生のことが好きだから気にしていないけど、友達の言葉にただ頷きながら微笑むことしか私にはできなかった。


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ある日、校内で作文の大会があった。生徒たちはみんな詞や小説など、自分が思うままに文章を書いて提出したが、どうも私の下手な短編がm先生のお気に入りだったみたいだ。先生は私が提出した数枚の原稿用紙を持って、真剣に自分の考えを話してくれたりした。言葉の選び方や表現方法、登場人物の設定について質問したり自分の感想を話してくれたりした。その時のm先生は教科書の中のどんな作品を読む時よりも、ずっと真面目な顔をしていた。

私は他人に自分の文章を読まれることが苦手だ。足りない実力でわがままに書いただけの文章は面白くもなんともないし、後で読み返すと恥ずかしくなって修正したくなるからだ。そして何よりも、私の文章を真剣に読んでくれる人が周りに誰もいなかったことが1番大きな要因だ。人はみんな"真剣"に会いたがる。そして自分と真剣に向き合ってくれる人のことはいつまでも忘れない。感想を話してくれる先生の白毛の混ざった眉毛から、私は確かに"真剣"を感じたのだ。

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教室に2人だけのような授業が続いていたある日、校内で"教員評価制度"というものが実施された。それはアンケートで生徒たちの正直な意見を聞き、職員の力量の強化に励む為の制度だった。(数年後、この制度は教員の授業の権利を侵害するという理由で廃止になった。)

アンケート結果発表当日、生徒に嫌われていたm先生に良い評価は与えられなかった。しかも一部の生徒からは言葉に出来ないような酷い言葉が書かれていた。

そしてm先生は、結果発表された日から全く笑わなくなった。吃る言葉だけはいつも通りだが、普段からしっかりつけていたはずのメガネは殴られた後のように斜めになっていて、髪はハゲを強調するかのように乱れていた。顔は常に真っ赤で、近づくとお酒の匂いが漂っていた。朝方まで飲んでいたのだろう。もしかすると酔っ払っていないと生徒の前に立つ勇気が出なかったのかもしれない。アンケートで自分に酷い言葉を浴びせた生徒が誰なのか、もしかしたら目の前に座っている人かもしれないって、先生は怖かったはずだ。

隣のクラスでは涙を流したらしい。授業の時間になっても職員室から出ていかない。そんな先生を見ても、大抵の生徒は面白がるだけだ。なぜなら生徒にとってm先生はどうでもいい存在で、m先生の授業は宿題を済ませたり友達と雑談できる自由時間のようなものだったからだ。そうしているうちにm先生の評判はさらに下がった。とうとうm先生は授業をしていても黒板を見て教科書を読むだけになった。

そしてある日、m先生が私にこう聞いた。
「私の授業はそんなにつまらないか?」

先生の目は酷く腫れて赤くなっていた。私には「いいえ」と首を横に振ることしかできなかった。

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先日高校からの友達と会い、たまたまm先生の話題になった。どうやら先生は早めに教職から離れ、孫たちと暮らしているらしい。学校を辞める前に先生は何を思ったんだろう。最後に立つ教卓で何を思ったんだろう。そんなことを考えるとやはり私は辛くなる。私に自分の授業がつまらないかを聞いてきたその日に、先生は辞めることを決めたのかもしれない。私はたまに後悔する。ただ静かで平凡な生徒だった私にできることはないかもしれないけど、それでも、先生が私に対して真剣に接してくれた分のおかえしくらいはできたのではないだろうか。

誰にでも辛い時期はある。m先生だけじゃない。辛くない人はこの世に存在しない。みんなそれぞれの理由で苦しんだり悩んだりしている。その過程の中で誰かを支えたり誰かに頼られたりを繰り返す。それが"人"というものだから。m先生のことを忘れられないのは、私がもう少し彼のことを支えることができなかったのかという、悔しさの表れなのかもしれない。

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