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イギリス補欠選挙結果 歴史的背景

「キア・スターマ、これはガザのためだ!」
 
ジョージ・ギャロウェイ氏は、イギリス、ロッチデール(マンチェスター)の補欠選挙で40%近い得票率で圧勝。この言葉は、その勝利演説の第一声でした。
 
この言葉には、イギリスの過去と現在と未来の、100年間の歴史の流れが含まれていると思います。
 
折しも、イギリスの真の王様と言われる、ジェイコブ・ロスチャイルド卿(1936-2024)が2/26日に亡くなりました。
 
前回の記事に続き、この選挙が持つ意味と、これまでの関連資料をまとめ、この大きな歴史の転換点を残したいと思いました。



1.まずはシオニズムから語る


 シオニズムの起源は、オーストリアのユダヤ系思想家ナータン・ビルンバウム(1864-1937年)が提唱者であり、1881年・1882年のロシアにおけるポグロムがきっかけで、「ユダヤ人の国家があれば」という思いから始まったと言われています。
 
このポグロムは、長年にわたり繰り返し起こっており、東欧のユダヤ人が集団的迫害(殺戮・略奪・破壊・差別)を受け続けていました。
 
 
  私はシオンに帰りイスラエルで暮らそう。
  I will return to Zion and dwell in Jerusalem.
  (ゼカリヤ8:3)
 
この聖句から、「イスラエルにユダヤ国家を建設する」という目標を「シオニズム」と呼び、その思いを共有する方々を「シオニスト」と呼びました。
 
ヨーロッパでは、ほとんどの国が、キリスト教が国教ですから、その中にあって、長い間、西欧社会でも、宗教的な差別から、ユダヤ人が差別の対象となっていた現実もあり、シオニズムは、前向きに受け入れられます。
 
さらに、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが、ユダヤ人を強制収容所に集め、ジェノサイドしたと報告されています。それは「ホロコースト」と呼ばれ、ヨーロッパの学校では、子供たちが、必ず習わなければならない、負の歴史です。
 
「ホロコースト」がシオニズム運動に拍車をかけ、1917年にイギリス外相が「パレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設とその支援」を約束したバルフォア宣言を下に、1947年に国際連合によるパレスチナ分割決議を経て、1948年にイスラエルに、ユダヤ国家が誕生します。
 
そして、世界中のユダヤ人が、イスラエルに集められました。
 
これは表の歴史になります。そして、多くの方が、長い間、イスラエル=ユダヤ人国家だと、誰も疑わなかったのです。
 
最近までは。
 

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