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[2000字エッセイ#9]「カラータイマー」と弱いヒーロー

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 外はきっと雨だと、客が持ち歩く雨傘で外の天気を予想した。書店で子ども向け雑誌の整理と、新しく入荷した商品を用意している。何年も書店で働いていると、ウルトラマンや仮面ライダー、戦隊もの、プリキュアなどの子ども向け書籍におけるヒーロー/ヒロインがどういう風に変わってきたかを見れてとても面白かった。初代から現在に至るまでのプリキュアをまとめた図鑑などを見ていると、明らかに等身が変わっていて、印象的だった。仮面ライダーも初代から今に至るまでの間、徐々に派手になっているようだ。

 いたるところで多様性が叫ばれるなか、子どもをメインターゲットに据えたコンテンツたちもここ数年の間にかなり変わり、新しい挑戦がなされてきた。仮面ライダーでは女性が変身するのがもはや当然となり(調べたところ2002年の『仮面ライダー龍騎』がもっとも最初のようだ)、プリキュアも数年前だったか、男性が変身していた(こちら調べたところ、2018年放送の『HUGっと!プリキュア』におけるキュアアンフィニというプリキュアだった)。戦隊ものでは今や、かつてフィニッシャーとして用いられていたロボットが主役となり、ロボットが戦隊に変身して戦っている(現在放送中の『機界戦隊ゼンカイジャー』)。そんななか、日曜日の朝にやっていないからだろうか、ウルトラマンだけは私はよくわからなかった。記憶が正しければ確か、毎週土曜日の夕方にやっているのだったか…いずれにせよ、テレビのない自室ではそんなことを考えても見れないので、店頭に並ぶ商品をもとに情報を仕入れる。

 私にとって、ウルトラマンは若干のトラウマであった。小学生のとき、ウルトラマンがゼットンに敗北したシーンを見た記憶もある。また、ウルトラマンが人質を取られてカラータイマーを奪われてしまい、そのままエネルギーを失ってしぼんでしまうといった光景も目にした記憶もあった。そうしたことは私に「ヒーローだって負ける」というメッセージを植え付け、恐怖させた。それから何年も経過し、ニチアサでヒーロー/ヒロインが毎週のように負けている事実を目にした今では、決してそうした「弱いヒーロー像」はウルトラマンに限定されなかったと気づき、彼ら/彼女らのそうしたイメージが今の私には心地よく思える。異世界に転生して無双し続ける主人公がライトノベルで蔓延る現代にとって、敗北して変身解除されてもなお戦うヒーローのイメージは、少なからず必要だと思うからだ。

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「真実と正義と美の化身」(1983年、油彩・キャンバス)

 そうした「弱いヒーロー」の象徴だったウルトラマンについて、私は以前からとても気になっていたことがあった。それは彼らが共通してもつ「カラータイマー」だった。彼らの胸にあるカラータイマーは、ピンチになったら点滅し、そしてそこに攻撃を受けると大きくダメージを受ける。それはウルトラマンの多くに共通する要素だが、そもそもなぜ、彼らはあんなにも分かりやすい弱点を持っているのだろうか。『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』といった初期のウルトラマンシリーズに大きな貢献を成した成田亨氏の絵画『真実と正義と愛の化身』(1983)は2022年に公開予定の『シン・ウルトラマン』において描かれるウルトラマンのモチーフでもあるが、そこにカラータイマーはない。正義のヒーローが悪と戦うためには、そのほうが絶対に良いはずだ。カラータイマーなんてものはそもそもなければ、敵にそれを奪われてしまうといったことも無く、また敵に弱点をみなされて攻撃されてしまうことも無いはずだ。おまけに、丁寧なことにそれはウルトラマンが弱っているときに点滅することで、敵に自身の状態さえ知らせてしまう(もちろん、番組を見る子どもたちにも知られてしまう)。

 それなのに、実際に子ども向け番組としてつくられたウルトラマンの胸にはいつだってカラータイマーがあり、そしてお約束のごとく点滅する。ウルトラマンを生物ととるか否かはともかく、生物として明らかな欠陥だと思われるこの仕様は、子どもたちに「弱いヒーロー」のイメージを与えるために用意されたものだと言えないだろうか。そうしたヒーロー像は、ときに敗北したり、ときにカラータイマーを奪われたりするウルトラマンの姿とも一致するだろう。彼らは決して完全な存在ではない。だからこそ、毎日の戦いで弱りながらも、それでもヒーローを演じるために戦うのだ。そのような「弱さ」は、子どもたちに完全無欠なヒーローではない、ある種現実的なヒーローの在り方すら、提示しているだろう。

 すでに公開されている『シン・ウルトラマン』のビジュアルを見ると、彼の胸にカラータイマーはない。不気味とさえ言えるだろうその立ち姿が一体何を表しているのかは映画の公開によって明らかになるだろうが、胸の弱点をなくしたウルトラマンは私にとって、異世界転生小説の主人公のような完全無欠さを感じさせてしまう。彼は弱点を失ってしまうのだろうか。そうした弱点の排除は、女性が仮面ライダーに変身し、そして男性がプリキュアに変身するこの時代の流れと、ある意味で逆行しているようにも思える。光の巨人はこの先、どこへ行くのだろう。

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