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[2000字エッセイ#5] 来る「合成音声音楽」の時代と失われた2000年代

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 先日Boothで注文した『合成音声音楽の世界』が無事に配達され、ポストの中に投函された。『ボーカロイド音楽の世界』シリーズは数年前から開始され、ボーカロイド文化を残し続けるための一つの指標として、界隈の中で大きく注目され続けている。今年はタイトルが『合成音声音楽の世界』と変わり、それによりさらに大きな範囲を視野に含めていくという今後の姿勢が表題より読み取れる。だが、「合成音声音楽」が「ボーカロイド音楽」のオルタナティブとして登場するのならば、私たちが「ボーカロイド音楽」と称して楽しんできた世界とそれがどのように重なり、どのように異なるのかを考える必要もあるだろう。「合成音声音楽」という枠組みがまだ十分に浸透しきっていない今現在において、その問題に応答しきることは不可能だ。だが、たとえ内容に大きな変化がないとしても、このタイトルの変化は私たちにとって「ボーカロイド音楽」とは何だったのかという、一つの問題を考えるきっかけを提示してくれている。

 私のこの些細な問題意識を裏付けるかのように、ここ最近Twitter上のタイムラインで、ボーカロイドの文化的範疇をめぐるいくつかの議論を見かけた。Twitterはたった半日でも見ていないとタイミングを逃してしまうほど、素早いメディアだ。後々で状況を知った私は機を逃してしまったのだが、状況を可能な範囲内で確認したところ、どうやらボーカロイドという文化的範疇をYAMAHAのVOCALOID技術を使用しているか否かで区分けし、それ以上の範囲を含むものを「合成音声音楽」と称してみてはどうか、という議論があるようだった。VOCALOIDの技術はYAMAHAが開発したものであり、それを実装しているもののみをボーカロイドを称すると考えるのであれば、UTAUを使用している人工音声ソフトたちはその範囲からは脱落してしまうのかもしれない。その意味で、上記の区分けはいたってシンプルかもしれない。

 だがそれより、私は別の問題が気になっていた。それは、ボーカロイドとその文化的範疇、あるいはボーカロイドの文化を構成する人々の中で、類似した問題が延々と繰り返されているのではないかというものだった。私はいわゆるボカロPかといわれると不明だが、いわゆるボーカロイド文化に強い関心を持ち、それらを数年間にわたって見てきたと自負している。その中で、どうしてか「ボーカロイドとは何か」といった問題は定期的に生み出されてきた。ボーカロイドはその誕生からすでに10年も経過し、もうじき15年にもなる。その歴史上で、ボーカロイドについての議論やボーカロイドの文化的範疇についての問題は、過去にいくらでもなされてきたとも思う。にもかかわらず、同じ問題が繰り返されているように見えてしまうのは、私の観察が足りないからだろうか。

 ボーカロイドはニコニコ動画とともに、2000年代前半のフラッシュ動画、あるいは「電車男」などムーブメントの影響を色濃く受けながら、インターネットへの希望的見解が充満する空気感の中で生まれた。2000年代中頃に書かれた批評の多くは、当時発展途上ではあったものの多くの可能性に満ちたものとして、ボーカロイドとニコニコ動画に触れていた。私もかつては『アーキテクチャの生態系』などでのニコニコ動画に関する議論を呼んでいた。それらの文脈は2010年代以降、学問的にも整理されインターネット研究としても注目されていった。たった10年でありながら、ボーカロイドの歴史記述を行うような試みもなされていた(例えば佐々木祐一『ソーシャルメディア四半世紀』の中では、ニコニコ動画がいかにユーザー主体から運営主体になっていったかが書かれている)。かようなことを書いている私も、これらの文脈を不十分ながらも受け継いで、ボーカロイド文化についてまとめ上げた記事を以前に書いたことがあった

2021年の今、「ボーカロイド音楽」が「人工合成音楽」という表現に代わる機会に面している中で、前者を後者から区分するための検討をする必要がある。そしてそこには、2000年から受け継いできた歴史的文脈を参照する必要がある。無論、批評的文脈はあくまで受容者の論理であり、その中に回収されない創作者の論理があることは否定できない。文化の枠組みを作っている私たちこそ、自分たちが何者であるかを語る資格があるという意見もある。しかし、仮に過去の歴史を参照することがこれらの問題系をより効率的に進化させることができるなら、私たちはそれらを参照すべきだ。そうすることで、私たちはより一層先に進めるのではないだろうか。

 私たちは今一度「ボーカロイド音楽」の歴史を振り返り、その中から導き出される答えをもとに、今後来るべく「合成音声音楽」を見つめていく必要がある。「新しさ」は、古いものがあって初めて成立するのだから。そのヒントは、すでに書かれたいくつもの歴史にある。

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