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浮世絵の絵の具ー石黄ー

追記

石黄(「せきおう」ないし「きおう」)は硫黄と砒素を主成分とする化合物です。化学式: As2S3

江戸時代前期は、医薬品を名目とした中国・東南アジアからの輸入品を中心に、一部国産品も存在し、その品種は「金色に近い上品」~「やや黒ずみ臭気がある下品」のランクがあり、医薬や絵の具として用いられていました。

これらは鉱物から作られる天然石黄でしたが、享保年間(1716~1735)には会津で人造石黄が開発されたと言われています。(2021年8月追記:国内での人造石黄の生産開始時期については、今後の更成検討が必要と思われます。)

浮世絵の使用において、いつから導入されたのかは不詳ですが、1785年刊の鳥居清長の作品にその検出例があります。石井研堂「錦絵の彫と摺」(1929)によると、文政(1818~29)までの黄色はウコンが多く、石黄は天保(1830~1844)後、多く用いられるようになったとあることから、この頃には人造石黄が安価に供給される市場体制か整ったのではと思われます。(※江戸時代の浮世絵は、基本的には安価に供給されていたものであり、当時の絵の具の変遷と、その時代の「絵の具の価格」との関係性は、大きいと見受けられます。)

Takamatsu Toyokichi 
「On Japanese pigments」(1878)には「江戸時代後期頃、会津において陶磁器用の呉須を人造合成しようとして、偶然人造石黄が出来た、その色は鮮黄色を呈し水や油と練りやすいが、毒性が強いため顔料以外には使用用途がなかった」、ということが述べられています。

なお、江戸時代の浮世絵における天然石黄と人造石黄の変遷や関係性については、まだ不詳なところが多く、今後の調査が待たれます。

1837年宇田川溶庵訳「舎密開宗 巻十四」には人造石黄の製法として、「砒素と硫黄を混和し加熱することによる」「乾式法」と、「砒素を水に溶かし硫化水素ガスを流入することによる」「湿式法」とが紹介され、砒素が多いと赤味を呈し、硫黄が多いと黄色味を呈するといった内容が書かれています。

前述の会津における石黄の製造は「乾式法」によるものであり、1901年「化学工業全書 第七巻」には3種の製造法が紹介され、その中で「本邦に於て従来施行する所の石黄製造法は砒石礦と硫黄の混合物を灼熱して製造す」とあります。また、人造石黄の色は「美麗な黄色」であり「空気や湿気に作用を受けることは無いが、日光には退色する」といったことが述べられています。

その他、石黄の特徴として被覆力の強さがあり、そのことから浮世絵における使用が肉眼でも判別できることがあります。

使用例

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引用:

参考文献:

宇田川溶庵訳「舎密開宗 巻十四」1837

Takamatsu Toyokichi 
「On Japanese pigments」1878

竹内久兵衛「実業応用絵具染料考」1887

高松豊吉・丹波敬三・田原良純編「化学工業全書第七巻」1901

石井研堂「錦絵の彫と摺」1929

北野信彦「近世出土漆器における材質・技法の把握に関する文化財科学的研究」2001

目黒区美術館「色の博物誌ー江戸の色材を視る・読むー」2016

Yanbing Luo, Elena Basso, Marco Leona "Synthetic arsenic sulfides in Japanese prints of the Meiji period" 2016

Special Thanks 菅原広司・末光陽介 













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