見出し画像

色合いの世界

僕は生まれつき、色の見え方が人と違うらしいのです。いわゆる「色弱」なんです。


*****

小学生のとき、色覚検査というものを受けて、自分が色弱であることを知りました。

色覚検査、やったことございますでしょうか?

カラフルな「つぶつぶモザイク模様」を見て、色の違いで浮かび上がる数字を読み取るあの ・・テストです。色の違いを識別できれば、問題なく数字が見えるようになっています。

当時、同級生のみんなは、「8」とか「12」とか、浮かび上がる数字が読めていましたが、僕にはどうしてもそれらの数字が見えなかったのです。

*****

詳しい検査を受けに、眼科に行きました。

検査は、20色くらいのバラバラの色見本を、色が近いと思う順に並べ替えるというものでした。

色が正しく見えている人だと、きれいなグラデーションの色見本を簡単に作ることが出来ます。

ところが、僕の場合は、グラデーションの途中の順番を取り違えてしまうんです。

検査の結果、僕は「青」や「緑」の識別が苦手だということがわかりました。特にエメラルドグリーンあたりの微妙な色相の違いが、正常に見分けられていないということでした。

*****

不思議な感覚になったのを覚えています。

生まれてからずっと僕が見ていた色合いの世界は、みんなと違っていたということになります。

みんなが見ている「青い空」と「緑の山」。

僕だけは、「緑の空」と「青い山」を眺めていたのかもしれない。

でもですよ、僕は生まれてからずっと「緑色」を「青色」だと思い、「青色」を「緑色」だと思ってきたんですよ。

だとすると、結局、僕は「緑の空」を「あおいそら」と呼び、「青い山」を「みどりのやま」と呼ぶことになる。

すみません。ちょっと何を言ってるかわからなくなりました・・・。

詰まるところ、「本当の色はどうやって確かめればいいのだろう」と。

小学生の僕は、そんなふうに思っていました。


*****

中学生になっても、色覚検査はありました。

そこでもやっぱり、みんなが読めている数字が、僕には読めませんでした。

内心、みんなと違うことが素直に受け入れられない自分がいました。

でも、そのとき、先生に、

「君にしか見えていない数字があったよ。」

と言われて、ハッとしたんです。

「僕にだけ ・・見えない色」があるけれど、「僕にしか ・・見えない色」もあるのかもしれないな、と。

そのことに気がつくことができたんです。

*****

僕が見ている秋の紅葉は、みんなが思っているよりも、色濃く鮮やかなのかもしれない。

僕が見ている夕焼け雲は、みんなが思っているよりも、豊かで美しいのかもしれない。

無理にでもそう思うと、少し救われた気分になりました。

中学生の僕は、そんなふうに思っていました。


*****

今、考えてみれば、あの頃の僕は些細なことを気にしていました。

クラスで僕1人だけが「異常」だっただけで、たまたま僕と同じ特性の人が集まったクラスだったら、僕は「正常」になるのかもしれないんです。

こういう場合は、「個性」と言って良いと思うのです。

結局、みんなが見ている色合いの世界は僕にはわかりません。でも、僕が見ている色合いの世界もみんなにはわからないはずです。

この世界の真実の色はただ1つしかないとしても、僕らが見ているこの世界の色は多種多様な色になると思うのです。

だから、お互いの色を尊重して、お互いが通じ合えるのなら、もうそれだけで十分に良い気がするんです。

最近は、そんなふうに思っています。



あっ、肉だけはよく焼くようにしています。もしも微妙な焼き色の変化を見分けられないとしたら、まわりに迷惑をかけるので!




この記事が参加している募集

自己紹介

スキしてみて

お気持ちは誰かのサポートに使います。