色合いの世界
僕は生まれつき、色の見え方が人と違うらしいのです。いわゆる「色弱」なんです。
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小学生のとき、色覚検査というものを受けて、自分が色弱であることを知りました。
色覚検査、やったことございますでしょうか?
カラフルな「つぶつぶモザイク模様」を見て、色の違いで浮かび上がる数字を読み取るあのテストです。色の違いを識別できれば、問題なく数字が見えるようになっています。
当時、同級生のみんなは、「8」とか「12」とか、浮かび上がる数字が読めていましたが、僕にはどうしてもそれらの数字が見えなかったのです。
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詳しい検査を受けに、眼科に行きました。
検査は、20色くらいのバラバラの色見本を、色が近いと思う順に並べ替えるというものでした。
色が正しく見えている人だと、きれいなグラデーションの色見本を簡単に作ることが出来ます。
ところが、僕の場合は、グラデーションの途中の順番を取り違えてしまうんです。
検査の結果、僕は「青」や「緑」の識別が苦手だということがわかりました。特にエメラルドグリーンあたりの微妙な色相の違いが、正常に見分けられていないということでした。
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不思議な感覚になったのを覚えています。
生まれてからずっと僕が見ていた色合いの世界は、みんなと違っていたということになります。
みんなが見ている「青い空」と「緑の山」。
僕だけは、「緑の空」と「青い山」を眺めていたのかもしれない。
でもですよ、僕は生まれてからずっと「緑色」を「青色」だと思い、「青色」を「緑色」だと思ってきたんですよ。
だとすると、結局、僕は「緑の空」を「あおいそら」と呼び、「青い山」を「みどりのやま」と呼ぶことになる。
すみません。ちょっと何を言ってるかわからなくなりました・・・。
詰まるところ、「本当の色はどうやって確かめればいいのだろう」と。
小学生の僕は、そんなふうに思っていました。
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中学生になっても、色覚検査はありました。
そこでもやっぱり、みんなが読めている数字が、僕には読めませんでした。
内心、みんなと違うことが素直に受け入れられない自分がいました。
でも、そのとき、先生に、
「君にしか見えていない数字があったよ。」
と言われて、ハッとしたんです。
「僕にだけ見えない色」があるけれど、「僕にしか見えない色」もあるのかもしれないな、と。
そのことに気がつくことができたんです。
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僕が見ている秋の紅葉は、みんなが思っているよりも、色濃く鮮やかなのかもしれない。
僕が見ている夕焼け雲は、みんなが思っているよりも、豊かで美しいのかもしれない。
無理にでもそう思うと、少し救われた気分になりました。
中学生の僕は、そんなふうに思っていました。
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今、考えてみれば、あの頃の僕は些細なことを気にしていました。
クラスで僕1人だけが「異常」だっただけで、たまたま僕と同じ特性の人が集まったクラスだったら、僕は「正常」になるのかもしれないんです。
こういう場合は、「個性」と言って良いと思うのです。
結局、みんなが見ている色合いの世界は僕にはわかりません。でも、僕が見ている色合いの世界もみんなにはわからないはずです。
この世界の真実の色はただ1つしかないとしても、僕らが見ているこの世界の色は多種多様な色になると思うのです。
だから、お互いの色を尊重して、お互いが通じ合えるのなら、もうそれだけで十分に良い気がするんです。
最近は、そんなふうに思っています。
あっ、肉だけはよく焼くようにしています。もしも微妙な焼き色の変化を見分けられないとしたら、まわりに迷惑をかけるので!
お気持ちは誰かのサポートに使います。