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生きることが、瞑想

私にとっては、生きることそのものが、瞑想することと同義です。

整った家で、整った精神で暮らしを営んでいると、その精神的・身体的感覚は、常に自分と共にあることを知ります。

おうちで暮らすことで精神が整っていくので、そもそも「頭が混乱する」という事態が起きません。ストレスへの対処療法ではなく、そもそも原因を発生させないのが、片づいた家で生きる、最大の幸福ポイントかもしれません。

瞑想的生き方をするのに大切なのは、とにかく急がないこと。そのために私は、やるべきことを極力少なく、対策を「増やす」のではなく「減らす」ことを意識しています。

問題の本質は「時間がないこと」


生きていたら、改善したいこと・やらねばならぬことは、絶えず出てくるものです。

しかしその度に、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、と時間を埋めてしまっていては、どんなに効果的な解決法であれ、意味を発揮することはできません。

なぜなら、ほぼ全ての問題の本質は「時間がないこと」に起因するからです。

対策を増やしても、問題は減らない


片づけがほんとうにすごいと思うのは、それが「引き算の美学」であることです。

おうちを片づけていると、これを解決しよう、あんなことをしたい、と思って買ったモノが、結果として役目を発揮できていないどころか、自分の暮らしを窮屈にしていたのだ、ということに気が付きます。

さらには、どんなに「やりたい」ことであっても、自分のキャパシティを超えた途端、それは苦しみの原因となることを知っているので、「やりたいこと」にもしっかり優先順位をつけられるようになっていきます。

対策を増やしている限り、問題が減ることはないのでしょう。


瞑想的生き方は、仏師のように


瞑想的生き方は、「一流の仏師が、木の中にすでに眠っている像を掘り出していく」感覚と似ています。

自分が「足りない」存在として、外からあれやこれやを追加していくのではなく、

自分が「足りている」存在として、すでにある内なる“私“を見出していく。

まずはそのための、環境を整えましょう。


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