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夢見る夢おじさん

 自分のこと「中身おじさんなんでw」と言う女性を観測することもわりとある。その度に思うことが、むしろおじさんこそ、外見がおじさんなだけで中身はわりと女子中学生みたいな人が結構多いということだ。この場合の女子中学生は思春期らしくこじらせている部分と、一方で夢見る夢子ちゃんな部分が同居しているという意味だ。
 政治とか国会関連のニュースを見ていると、わりと「いつか誰かがなんとかしてくれる」という具合の、白馬の王子様の到来を待つような態度を感じることがある。天災が多い国だから、ある種の諦観というか、どうしようもないときは耐え忍ぶしかないって感覚があるのかもしれない。
 とは言え日常は怒涛のようでありつつも対人関係が主だから、要は目の前の相手を思い通りにできないという至極当然のことでつまずくのだけど。自分の不機嫌で他人を操縦しようとするこじらせ女子中学生的おじさんのなんと多いことか。「何も言わなくてもわかってくれる」ってどんだけ相手に多大な期待をしているのだろう。
 対人関係の基本は対等であることと、育てるということだと思う。相手が部下でも上司でも客でも店の人でも恋人でも友人でも大人でも子供でも、相手を変えたければ、責任を持って育てようという意識がないと関係は長く続かないし未来もないのではないか。ただ育てるということもニュアンスが難しくて。相手を自分の思い通りに変えたいというのとは別で、相手の意図を組んだ上でアウフヘーベンしていくような関係が理想だと思うのです。私も夢見る夢子ちゃんかな。

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