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生まれてきてよかったって思いたい

 完全なんちゃらマニュアルとかって発禁図書があって、私はそれを読む機会があったのだけど。その本は、「生きていくことがどうしてもしんどくなったとき、最後の手段としてこういう方法もあるんだ、と知っておくことで日々を生きていけるようにする」というような効用があるって話だった気がする。鵜呑みにする人はいないのだろうなと思いつつ、私はそれを鵜呑みにして真っ黒な目で生きていけちゃうタイプだった。
 実際この本を読まなくてもタヒに方はいろいろある。どうすれば人がタヒぬかなんて情報は子供でもわかる範囲の常識から、フィクションや事件・事故の報道などでいくらでも知ることになる。でも「こうすれば生きられる」って生き方はなかなかわからないというか。セーフティネットがあるにせよ、一度レールから外れると社会復帰って大変ですよね。
 タヒにたいというより積極的に生きていたくない気持ち。「生きていれば良いこともある」って常套句だけど、良いことがないからタヒぬって人はおそらく少数で、良いことがあっても、なにかどうしても許容できないヤなことがあるからタヒぬことを選んでしまっているんじゃないか。二人友人を自タヒによって失っている私としてはそう考えます。
 私自身「生きていてよかった」って『深夜高速』みたいなこと言えるようになるのは難しかった。成功したというよりたまの一回だけ失敗しなかったって感触で、再現性はない。タヒに方はもうわかったから、どうなったら幸せに生きていけるのかを知りたい。今もわりと幸せと言えるけど、それでも淋しさは消えていない。生活が苦しいということだけが理由ではない気がする。
 生まれるということ自体が罰で、生きていくことは償いだ。体は牢獄で、寿命が刑期。勝手に刑期を縮めて体から出ていったら脱獄。タヒによって赦される日を目指して生きるという労役を果たしていくといったイメージが拭えずにいる。
 申請主義と言うし、困ったときに黙っていて助けてもらえるほど社会は成熟していない。恥ずかしくてもみじめでも人前に出て「助けてください」「教えて下さい」と言う必要はあった。いるのかどうかわからないけど、社会に祝福された人たちとは隔絶を感じる。でも明日の保証なんて誰にもないし、なるべくいろんな人に楽しく幸せに歳をとってもらわないと困るのよ。歳をとること、即ち生きることがつらくて大変でイヤなことだと、自分より若い世代に思わせないように、ステキに老いていきたい。
いろんな人に助けてもらいながら、たまには自分も誰かを助けて生きていけたら上出来かな。

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