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怖い上司になりたくなかったはずなのに

 むかしむかし、古武道やってる元彼から、人には覇気と和気があるという話を聞いた。
共通の同級生に警察官になったやつがいて、そいつは見るからに和気の人だったのだけど、警察官は覇気が求められる職種だから大丈夫かな~みたいな話だった。
紆余曲折あってそいつは自死してしまったのだけど。

 元彼に「私は覇気と和気、どっちの人だ?」と聞いてみた。
正直言って、和気の人だと言われることを期待していた。やさしいとか言われたい願望が自分の中にあったわけだね。
でも元彼は「覇気と和気、半々」と答えた。半々、そういうのもあるのか!

 思い出すのはそれより遥か昔、元カノと別れたときのこと。
一番古くからの友達に「やさしい」と言われたり「冷たい」と言われたりすることについて相談をしたことがあった。
いったい私はどっちなのかと。そしたら友達は「雨琴くんがやさしく振る舞ったり冷たく振る舞ったりしたんじゃないの」と、至極当然のことを言っていた。

 自分の中の和気的な側面と覇気的な側面は今も相変わらずある。
歳をとって覇気の割合が多くなっていないか。
ただでさえ中年が無言でいると威圧感が出る。自分より弱い立場の人を怖がらせていないか、委縮させていないかが怖くなっている。
 私の父親は典型的な覇気の塊みたいな人だったから怖かった。大人の男の人が怖いって言ってた私が、怖いもの自体になっていくというタイプのホラーな人生を生きている。
  でも職場の上司を見ていると、怖がられたり委縮されたりして気を使われるということにさえ慣れていくのかなとも思った。
「たぶんこいつは今私を怖がっているから、適当なところで席を外してやろう」みたいな気の遣い方をしていただいたんじゃないかと思えることがあった。
 誰にも悪気はないし、いたわりあっているのに他人の気持ちは不可知だから怖い。
コミュニケーションが双方向なんて夢物語で、相互に一方通行だよな。


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