「涙のすすめ」~自死遺族より~
こんにちは、うきまろです。
「涙活」という言葉がありますが、今回の記事は、それに少しだけ関わるお話です。
私がカウンセラーさんから「感情が麻痺している」と伝えられた出来事を紹介しつつ、”自分の心に素直に感情を表す”ことをおすすめしています。それはうつ病などの精神疾患を予防するうえで、とても大事なことだと思うのです。
この記事はかなり重たいですが、後半の見出し「涙のすすめ」からでも読んでもらえたら嬉しいです。
🎈心が麻痺する過程
姉の自死の直後に私が真っ先にしたことは、姉の遺書を隠すことでした。
遺書の内容によっては他の家族の精神を追い込み、”早まった行動”をとらせる危険があったからです。そのようなことが「起こるかも」と思えるくらい、家族の心は不安定になっていたのです。それは姉の自死の原因が、あきらかに家庭にあったからです。
姉が搬送された病院の中で、私は他の家族に「用を足しに行く」と伝えてトイレに向かい、そこで隠し持っていた遺書を開き、誰よりも先にそれを読みました。家族の個々に宛てられた内容を、全員分。
今でもこの行動は、間違っていなかったと思っています。
それからこの遺書を、家族の誰に、どんな順番で渡すかを考えました。
そして渡す前に、相手の心の準備ができるように、どのような言葉がけをするのかも。それが自分と家族の運命を左右するかもしれないと思って。そのあまりの重圧と悲しみとがゴチャ混ぜになり、私の心臓はバクバクと鳴り、同時につよい寒気に襲われました。そんななかで、遺書を読み進めるたびに心が揺さぶられ、何度も読むことを中断し、その場を歩き回り、たびたび天井を見上げ、「あぁぁ…」と声を漏らしていました。
それからしばらくの間、私はこの困難な状況を、他の家族と生き抜くために、常に過度な緊張状態でした。自分の感情の処理を後回しにして、家庭の混乱の対処に努める必要があったからでしょう。そして後日、その状態でカウンセリングを受けたとき、先生から「感情が麻痺している。一番よくない状態。泣ける方がいい」と言われ、すこし驚いたのを覚えています。
この「心の麻痺」のせいか、私が純粋に姉の死を悲しむ時期は、後ろにずれ込んでしまいました。そのせいか、私は何年にもわたって「意思に反して笑顔になってしまう」ことに悩まされました。辛いはずなのに、笑顔になってしまうのです。その笑顔を意識して外すことは困難でした。この癖は自分の心を黙殺し続けることとなり、おそらく私の精神に相当な負担を与えていたことでしょう。以前よりもずっと緊張が緩んだ今の私には、そう思えます。
(余談ですが、フリーホラーゲーム『The Boogie Man』は、私が上記の自分の状態を自覚することに一役買ってくれました。このシリーズ大好きです✨)
🎈涙のすすめ
泣きたいときは心から泣き、
笑いたいときは心から笑う
当たり前のようでいて、実はそうではないのだなと、しみじみ思います。
状況が許すなら、おおいに泣き、
状況が許さないなら、ちょっとの間だけ涙を貯めておくとしましょう。
あとで必ず流すつもりで。
流し忘れた涙は体の中で結晶になって、心の上に積もってしまうのかもしれません。そうなったら、何か温かいものに触れる必要がありそうですね。
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