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ペストから学ぶコロナ禍の生き方

カミュのペストという本を読んだ。これはかなり前から名作であった(私は名前も知らなかった)らしいが、このコロナ禍の状況とマッチするところがあり、最近書店などで特設コーナーがあったりする。この記事ではペストを読んだ感想をつらつらっていきたいと思う。

あなたにとって重要でない人々

日々、増えていく感染者、死者、それによって巻き起こる社会の変遷、人間の変化をペストは至って客観的に描いている。時には医師である主人公の主観も混じえながら。ある意味冷淡に、淡々と書き連ねられていく事実から判断を下すのは、あくまで読者だ。ペストとはそういう小説だ。私がこの本を読んで感じたのは、個人にとって第三者の感染や死というものは、相対的、記号的なものに過ぎないということだ。

毎日、新聞の一面にはコロナ感染者の数や死者数が載っている。あなたはそれを見て何を感じるだろうか?
「ああ、今日はいつもより少ないな。」
「過去最多だ、怖いな、ちょっと外食は控えるか」
それらの感想は相対的なものに過ぎない。
昨日【より】多い、だとか【今までで】1番多いだとかは、ある基準から比較した感想に過ぎない。そこに一人一人の感染者に思いを馳せる人は少ないのではないだろうか。

1000人には千人千色の人生があり、家族がある。きっとそれはコロナにかかる事で過酷なものになるはずだ。仕事を休まざるを得ず、貧困に悩む。慢性疾患を持っていて、重症化する。
それらの事情を考えることはしない。そんなことをしていたら私たちの心は持たない。だから我々はその情報を無意識に相対的な数字として処理するのだ。

例を挙げると、志村けんさんの死によって、ネット、メディアが活発化し集団としてコロナに対する意識が高まったというものがある。
それまでにコロナに罹患して亡くなった方は沢山いた。しかし「コロナは風邪だ」「移動を制限する必要は無い」という意見がまだ多く見られた。
何百人の死より、テレビで見て【知っていた】志村けんさん一人の死の方に、国民の関心は向いた。その明確な証拠である。
それが良いとか悪いとか言いたい訳では無い。ただ、【集団】とは【全体】とはそういうものなのだ。
それを知っているのと知らないのとでは大きな意識の違いがあるのではないだろうか。

その【集団意識】によって、日本人は、いや人類は、戦争を止められず、核兵器の使用を止められず、膨大な数の人を死に追いやった。
勿論これがいい方向に働くこともある。環境保全活動や、募金活動などがそれのいい例である。
ただ、良い事よりも、悪い事、の方が影響力が大きいのは事実だ。

人間は元来、悪なのである。
そう言いたい訳では無い。いい事をするメリットよりも、悪いことをするメリットの方が多いことが往々にしてあるのだ。
日給1万円よりも、財布を盗んで一瞬で5万円稼ぐ方が楽で幸せだ。人間は楽を求める生き物だ。だから放っておけば悪事を働いてしまう。
これを留めているのが倫理であり、法なのである。
しかし、それだけではどうしても力が及びないところも出てくる。この綻びが、火種や新たな悲しみを産んでいく。

これを読んでいるあなたは【個人】であり、【集団】ではないはずだ。

あくまで【個人】であり続けて欲しい。それがこの現状を少しでも良くしていく道だと思うから。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

ではまた。

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