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隣のおっちゃんがパチンコ台を破壊した話

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ

 軍艦マーチが鳴り響いた店内で、僕が手を引いている弟の口の周りは真っ黒で、洋服も胸のあたりまで汚れている。大好きなチョコレートをお父ちゃんから貰っておいしそうに食べているのだ。弟はパチンコ屋では放し飼いされているように、片手には必ずチョコレートを持って店内を動き回っている。その弟はパチンコ屋によく来る証として、歯はボロボロで前歯が無い。

 お父ちゃんは仕事が休みになると、僕と弟を連れて国鉄K駅近くにあるパチンコ屋に連れてくるのだ。今日もまた、前と同じパチンコ屋に連れて来られた。パチンコ以外に、何処かへ連れて行ってくれるとか、キャッチボールをいっしょにするということは、例えお父ちゃんが前の日にグローブをプレゼントしてくれたとしても、無い。
 耳を突く軍艦マーチに、煙草の臭いや、床に沁み込んだ油の臭い、劣悪な環境だけど、弟はチョコレートに誘われて連れてこられ、僕はお父ちゃんについて行かなくてはならない使命感があるのでついてきている。

 お客さんは殆どおらず、いつもガラガラで広く感じる。お父ちゃんは、手慣れたように壺のような機械から玉を買って、煙草をふかしながら自分の好きなパチンコ台で遊んでいる。左手に玉をたくさん握って右側の穴から、親指を器用に使って等間隔に入れて、そのリズムに合わせるように右手でレバーを弾く動作を飽きもせずやっている。交差する左右の手の恰好良さと、機械のような正確な動作を見ていると、大人はすごいと、いつも思う。
 お父ちゃんは玉を弾きながら、僕と弟に玉を拾うように言い付けることがあるので、弟といっしょになって猫のように転がっている玉を追っかけている。

たまに、店員が僕と弟を制止しようとしてくるので、その時だけは二足歩行の猫になる。忘れた頃、猫になって玉を追っかけても何も言ってこないので、玉拾いに励み、獲得した玉をお父ちゃんに献上している。店員は制止する時と玉を拾わせてくれる時があるので、僕としては、この猫になる行為が良いか悪いのか判断できない。

たまに、お父ちゃんの隣に座って弾くと、自分でもお父ちゃんより上手だと思うことがあり、下皿にまで玉が溢れることがある。この時も、店員が来て、肩をちょんちょんされて、制止しようとする。
その時お父ちゃんは、苦笑しながら “するな”というような合図を僕に送る。
なぜ、店員は僕を制止しようとするのか、それにお父ちゃんの合図の理由もわからない。忘れた頃、僕がお父ちゃんの横で弾くのを再開しても店員が無視していることがあるので、この行為が良いか悪いのか判断できない。
このことは、お父ちゃんも教えてくれない。
たぶん聞いても、答えが理解できないと思うから聞かないのだ。
誰も教えてくれないパチンコの暗黙のルールに従い、僕らはお父ちゃんが頭の中で描いている見えない柵の中から逃げ出すことなく不思議な時間を過ごしている。
時間もほどよく経過して、猫になっている弟は玉を追っかけるのも飽きたようだけど、店内をうろついて、うまく時間を潰しているようだ。

 僕も猫をやめて、店の出入り口近くの、お父ちゃんの右隣に座っていた。
右隣りには、鶏ガラみたいに痩せたピカピカ頭のおっちゃんだ。おっちゃんは、ほかの人と違って綺麗な服、パチンコを弾く手元を見たら珍しく大きな指輪をしていた。頭を180度回転させて、お父ちゃん越しに外を見ると、時々国鉄のディーゼルカーが走っているのが見えるので、それを見ながら天王寺の近鉄百貨店の玩具売り場と屋上遊園地を空想していた。屋上遊園地の人工衛星がぐるぐる僕の頭の中を回っている最中、お父ちゃんは何かの異変に気がついたようで、機械のような正確な動作による弾きを止めた。

すると、右隣のおっちゃんが、沸騰して薬缶の蓋が飛んでいくぐらい怒り出して、座っていた一本脚の椅子を、床から引き抜いて振り上げたのだ。

その瞬間お父ちゃんは、後ろから僕の脇に手を突っ込んで抱き上げ、ふたりで瞬く間に5メートルほど瞬間移動した。こんな素早いお父ちゃんの動きを見たのは初めてのことで、ずいぶん驚き、ただの中年ではなくて、まだまだ若く誇らしいと感じた。

そして、驚いたのはそれで済まなかった。
店内に流れる勇ましい軍艦マーチが負けを認めるほど、けたたましい破壊音が至近距離で鳴り響き、沸騰した薬缶のおっちゃんは椅子でパチンコ台のガラスを割るどころかパチンコ台を破壊してしまった。沸騰した薬缶のおっちゃんは、椅子を振り上げてから何の躊躇もなくパチンコ台を破壊したので、大人の世界ではそんなのもありなのかなと、瞬時に考えた僕の頭ではそう解釈してしまった。振り上げた金槌は、必然的に振り下ろして釘を打つように・・・
お父ちゃんは何もなかったように振る舞いながら、僕と偶然近く人いた弟を引き連れて逃げるように店を飛び出した。生まれて初めて、お父ちゃんが僕を守ってくれたような気がして、少しだけ嬉しくなり頼もしいとも思った。それに、お父ちゃんの機敏な行動があったおかげで、沸騰した薬缶のおっちゃんは怖くはなかった。チョコレートで口の周りが泥棒髭のようになっている弟はきょとんとしているだけで、手にはチョコレートを持っていなかった。

 どうも、子どもが大人の世界に連れていかれると、妙な事件に出くわしたりすることが多いような気がする。大人が決めているルールが理解できずに思考回路が停止し、夢の中にいるようで、子どもが行くところではないということが分かってきた。

お父ちゃんも、子どもをパチンコに連れて行ってはいけないと、気持ちを切り替えたのか、この事件以来、お父ちゃんは僕と弟をパチンコに連れて行かなくなった。違う遊びを覚えるわけでなく、あいかわらずひとりで行っているのだろう。

そして、僕らは晴れてパチンコを無事卒業することができた。
めでたし、めでたし。

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