見出し画像

予想以上だった『オッペンハイマー』

『オッペンハイマー』を観てきた。
ちょうど仕事が休みだったので、公開日の朝イチで行くというガチ勢スタイル(スタイルだけ)だったのだが、私はオッペンハイマーが原爆を作ったということしか知らなかった。
彼がどういう経緯で原爆を作ったのかなどまったく知らず、ただ「原爆の父」という簡潔かつそれ以上でもそれ以下でもない事実のみ知っていた。
そもそも私がオッペンハイマーを知ったのは、坂本龍一のライブで彼の映像が出されたのがきっかけだ。
それは数年前に公開された、坂本龍一のドキュメンタリー映画『CODA』のなかで登場した「aria of oppenheimer」のライブ映像だった。
オッペンハイマーが「the destroyer of the Worlds」というのを繰り返すのを見て、私はその表情が絶望しているように思えた。
アメリカという祖国のために原爆を作った彼は賞賛され、誇りと喜びを感じているものだと思い込んでいたからだ。
戦争で勝つために活躍した人は称えられると思っていたし、アジア人差別はけっこうあるというし、日本に原爆を落としたことに対する罪悪感などないという、ある意味彼だけでなくアメリカに対しても失礼な偏見を持っていた。
それがどうだ、原爆の父は世界の破壊者になった、と原爆を作ったことを悔やんでいるではないか。
当時の私の関心はここで止まり、去年「バーベンハイマー」の原爆いじりで炎上したときにオッペンハイマーが日本で公開されないことを知った。
え、なんで? アメリカが描く原爆の話知りたくないの????
歴史ものは、どの登場人物の側面によって描かれるか、制作する国によっても主張がちがうというのがつきものだが、私はそれを前提として、アメリカが原爆を作ったオッペンハイマーについて描いたということに純粋な興味を抱いたのだ。

そして3月末、ついに公開することになりまったくの前情報なしで行こうと思ったのだが、やはりキャストは気になって公式サイトを見ることにした。
ふむふむ、主演はキリアン・マーフィーか、はじめて聞く名前だ、なるほどクリストファー・ノーランの過去作に出ていたのか。
妻役はエミリー・ブラント、メリー・ポピンズの人だな、おっフローレンス・ピューじゃないか! 『DUNE』の2作目にも出ていたし、もうハリウッドでバリバリ活躍していく俳優になったんだな……
ほかにはマット・デイモンにケネス・ブラナー、ロバート・ダウニー・jr. ……おお、すごいなこの映画……ん!?
ここで私は画面を二度見した。
「デヴィッド・クラムホルツ」
え?!??
「デヴィッド・クラムホルツ」
チャーリー!?
そう、彼は『NUMBERS』というアメリカのCBSのドラマで主人公の天才数学者チャールズ・エプス役を演じていて、私はそのドラマが大好きで観ていたのだった。
アメリカってドラマに出ている俳優はあまり映画に出ないし逆もまた然りだと思っていたのだが、そうでもないんだ? ていうかチャーリーがオッペンハイマーに出るの? え、めちゃ嬉しいな……でも太っちゃって面影が……あるのか?
そんなデヴィッド・クラムホルツは、イジドール・ラビというオッペンハイマーの友人役で出るという。
けっこういいポジションじゃん、まあ裏切ったり死んだりするかもしれないけど……
さらには『DUNE』や『マクガイバー』で見たデヴィッド・ダストマルチャンに『フルメタル・ジャケット』のジョーカー役のマシュー・モディーンなど、私は内容はさることながらその俳優たちを見るのも楽しみでしかたがなかった。

そして公開日朝イチの上映を終え、この映画を一言で表すとしたら「原爆そのものの脅威について言及した作品ではない」ということだ。
もうすこし付け加えると、オッペンハイマーの人生を描いた伝記でもない。
原爆を作ることになった彼とその過程、原爆投下後の水爆実験をめぐって追求されることについて政治的な視点を絡めて描かれていたのだ。
いわゆる赤狩り要素が思った以上に強く、というか予想外で、ただ俳優の名前を見て満足していた私は面を食らった。
これはちょっと勉強してもう一度観るとより理解できるのでは……?
とまあ最初の感想はこんな感じだった。

私は映画を観ながら考えていた。
ロバート・ダウニー・jr. 演じるストローズ側の視点と、もはや尋問といえるであろう追求を受ける聴聞会や回想を含めたオッペンハイマー側の視点では画面の色がカラーと白黒で分けられていて、疑問に思いそうなこの色分けだが、そのおかげで時代やどの人物の視点なのかわかりやすく描かれていたように思う。
ちなみに視点といっているが、ストローズやオッペンハイマーを主観で見ているというよりは彼らの立場を俯瞰して見ているというか、のぞいて見ているといったほうが正しいかもしれない。
ただ、白黒とカラーで分かれているといっても、時代が行ったり来たりするので序盤は少し混乱した。
時代を超えて過去を見たりさらにさかのぼったり、そうして時間が過ぎていくうちに、オッペンハイマーは戦後の聴聞会でストローズの罠にはまったことが明らかになっていく。

内容を深く語るには、マンハッタン計画やアメリカが共産主義、社会主義を排除しようとしていた政治的背景についての知識がない。
ただ、アメリカはソ連のスパイから技術が漏れてしまうことを恐れ、共産主義者を計画に入れないようにしたかったということは映画を観ていて理解できた。
やはりこれは勉強してもう一度観たほうがいいな。

次は登場人物に焦点を当ててみよう。
まず私が楽しみにしていた、デヴィッド・クラムホルツ演じるイジドール・ラビについてだが、彼は登場からラストまでオッペンハイマーの友人であり続けた。
彼自身も優秀な学者でオッペンハイマーがマンハッタン計画に誘うほどだったので、どうしてもチャーリーと被ってしまう。
ラビ、いつ数式を黒板に書き出してくれるんだい?(ラビは物理学者です)
いやしかし『NUMBERS』から約20年、体型は変わっても仕草や動きはチャーリーだったし同じ俳優なのだと実感した。
だってすごい観てたもん、朝から晩まで一日中観てたんだから、チャーリーと重ねてしまうし、眉を上げて伺うような返答をしたり、上目遣いで相手を見る仕草とか、久しぶりに見たデヴィッド・クラムホルツが変わっていなかった。
オッペンハイマーがロスアラモスに研究所を建設しはじめた頃に軍服を着ているのを見て「まるで軍人じゃないか、君は学者だろう」というようなことをいって咎めたり、自分は計画には加わらないといいながら実験を見に来たり、友人としてオッペンハイマーに寄り添い続けていた。
聴聞会でストローズ側についてしまったかつての学者仲間と鉢合わせたとき、目配せをしてオッペンハイマーと顔を合わせないようにしたり、優しさを感じた。
それから、オッペンハイマーの妻だが、キャラクターとしてけっこう好きなタイプだった。
聴聞会で責められ続けた夫に対して「ストローズが敵だ」と言い当て、戦えという。
さらには「私だったら唾を吐いていた」など、強い女性として描かれていた。
ただ気が強いだけではなく、怒りをあらわにしながらも絶対負けてはいけないとオッペンハイマーを古い立たせようとしたりする姿や、なにがあっても夫と一緒にいるという決意を感じたのだ。
そこに至るまで、結婚しても外に愛人を作っていたり、その女性が死んで絶望する夫、そんな波乱な人生を乗り越えてきた彼女は強い人間なのだと思った。
話はずれるが、私はアメリカの作品出てくる強い女性キャラが好きだ。
たとえば『アグリー・ベティ』の主人公ベティの姉のヒルダ。
彼女は自分に自信を持っていて、父が福祉局だか民生委員だかに狙われた(?)ときには家に乗り込んで暴れんばかりの姿を見せたり、ときどき下品なこともいうが、とにかく気が強いという点でキャラが立っている。
こんなヒルダに通じるところがあって、観ていておもしろかった。

いまこの文章を書きながら、アインシュタイン役の俳優をどこかで観た気がするんだが、いったいどの作品に出ていたのだろうか……と思いウィキペディアで検索した。
なんと、あの戦メリのローレンスではないか!!!!
そうかそうか、トム・コンティってあのトム・コンティか!
カタコトの「ハラ軍曹!」が頭の中でループする。
いやオッペンハイマーのキャスト豪華すぎるだろ……なんなの?

終盤がちょっとダレてきたので、とりあえず感想第一弾として今回はこのあたりで終えることにしよう。
また2回目観たら次に続くかもしれないし続かないかもしれない。
そもそもまた半年以上更新が空くかもしれない。
まあ時の流れに任せるさ、それではごきげんよう!


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?