【体験記】初めてのカウンセリング
私は現在看護学生であり、将来は人の心もケアできる看護師になりたいと考えている。私は語りやナラティブがもたらす癒やしの力を信じているものの、果たして自分は今までの経験を人に話してきたことがあっただろうか。私自身の癒やされていない経験が、認知の歪みに関係するのではないかと考えているため、将来人をケアするものとして、カウンセリングを受けて自分の心をフラットにしておきたい思いがあった。私の通う大学では、学生であれば無料でカウンセリングを1時間受けることができるので、早速予約をしてカウンセリングを受けてみることにした。
準備
今までの人生でカウンセリングを受けたことがなく、数週間前からソワソワしていた。言語化できたほうがスムーズにカウンセラーに自分の性格や経験が伝わるのではないかと思い、以下のことを説明できるように準備した。
・カウンセリングを受けようと思った理由
・現在抱えている生きづらさ
・過去の癒やされていない経験
カウンセリングは普通の会話と何が違うのか、どのような流れで進んでいくのか全く検討がつかなかったため、とりあえず自分が話したいことを話せるようにして、あとは流れに任せようと考えた。
いざ、カウンセリングへ
カウンセリング室へ入ると、カウンセラーの女性が席に案内してくれた。机を挟んで対面で会話をする形式だ。まっさらな紙を渡され、そこに名前と現在の悩みを書いて欲しいと言われた。書き終えた紙を手渡すと、アイスブレイクもなしに話したいことから話して欲しいと言われ、私は準備していた事柄を話し始めた。「話したくないことは話さなくていいから」と言われたが、私はむしろすべての私の物語を私の中から解き放してあげたかったので、NGはないのでどんどん突っ込んで欲しい旨を伝えた。
最初の40分は、カウンセラーの方は私の全体像を捉えようと努力されているように感じた。私が話し、会話のボールを相手に渡すと、さらに深堀のための質問が来る。自分では考えたことがなかったような角度からの質問は答えに迷い、確信が持てずに曖昧に返答していた。私はこれといって今大きく悩み苦しんでいることはなかったので、大変掴みにくいクライエントであっただろう。カウンセラーは傾聴を基本として、頷き、手元でメモを取りながら話を聞いているものの、聞く態度や口調から、私が何に悩んでいるのかわからずに困惑している空気を感じ取った。カウンセラーの感情と私の感情が一致していない、同調していない、そんな感覚。後半の20分で、カウンセラーの方から「結局、今何に一番困っているのか」と聞かれ、私がある話を始めたところ、今までとは異なる空気感で深い共感を示された。私としてはなぜこの話がピンポイントでカウンセラーの方に刺さったのかはわからなかったのだが、「共感」「傾聴」を基本とするカウンセラーも人であるから、やはりクライエントに共感できること、できないことがあるのであろう。
1時間たっぷりと、明確に否定されることはなく自分の話を聞いてもらう経験は初めてだったので、終わったあとはこころなしかスッキリした気持ちであった。
感想
日頃自分の経験の洞察は自分で行うことがほとんどだが、カウンセリングでは他者が自分の経験を洞察し、意見を提示することがとても新鮮であった。話のなかで、「悲しかった?」「辛かった?」と自分の感情を強調させるような質問があり、「授業で習ったなあ」と思いながら話をしていた。さらに「どういうふうに辛かった?」「どんな感じがするの?」など、「悲しい」「辛い」という感情をより深く表現するように求められた際は、自分の中に当てはまる言葉がなく曖昧に応えざるを得なかった。やはり自分の考えを言葉に乗せて話をするのはとても難しいことである。私はきっと頭であれこれ考えすぎてしまうので、本当の気持ちを冷静に言葉とか理性で隠してしまうから、カウンセラーの方からみたら私の心の奥深くまでたどり着くのは大変だっただろうにと思う。私が最も突っ込んで話を聞いてほしかった話は全く深く触れられることがなく、「この話聞いてー!!」「これが話したいのー!!」と言わないと当然のことながらカウンセラーの方もわからないよなあと感じた。もしくは、私は自分の経験を赤裸々に話さないと癒やされないと考えていたけれども、過去を暴くのではなく現在の生きづらさをどのように解決するのかが重要であるから、あえて深く触れなかったのかもしれない。それはわからない。
カウンセリングを受けていて、質問に答えなくてはと思うあまり、少し違うニュアンスのことでも相手が求めているような答えを言ってしまう場面があった。本当の気持ちを他者に見せることに抵抗がある人は、カウンセラーがそこにたどり着くのに時間がかかると思うので、効果を感じるのに時間がかかるかもしれない。
今回カウンセリングを受けてよかったことは、カウンセリングではクライエントが主役であり、話したいことを話すことができるので、開放感が得られることであろうか。日頃の人間関係では自分が話したいだけ話すわけにもいかないだろう。しかし今大きな悩みがない私からしてみると、自分の話を否定せずに聞いてくれる信頼できる他者との会話でも少なからず同じような効果が得られるのではないかと感じた。
一方で、「目の前の自分のためだけに、有無を言わさず他者が時間を割いてくれる」という経験は贅沢なものである。「他者に話す」という行為は私のコーピング法の1つであるので、いつか保険が適用されて手の届きやすい値段になれば、ぜひ定期的に利用したいと思った。
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