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タバコと潜水は瞑想と似ている - しがないWEBライターの雪山滞在記 3日目 12月4日(水)


「タバコを吸うのって、瞑想と似てる気がするんだよね」

ささやかな夕食のあと、机を囲んでぼんやりとしていると、タバコに火をつけた彼が唐突に呟く。なんで? と尋ねると、彼は深く息を吸い込んだあと、煙を吐き出しながら気だるげに答えた。時計の針は20時を指していた。

「瞑想にしろ、ヨガにしろ結局は『呼吸を意識してリラックスしよう』ってわけじゃん?」

タバコなんて深呼吸の最たるものだよ、と続けた。今年30歳になる彼は、一年ほど前にタバコを吸い始めたのだという。

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「はじめて自分でタバコを買って吸ったのは新潟の粟島にいた時でさ。海が視界いっぱいに広がってて、こりゃタバコを吸ったらうまいだろうなって。缶ビールの350mlとタバコを一箱買っていったわけ。キャスターの1mlだったかな。びっくりするほど美味くてさ」

うまそうにタバコを吸うやつのこと、昔はバカにしてたんだけど、と彼は笑い、ぷはーと煙を吐き出す。その割には随分と美味そうに吸うものだ。

「それにさ、タバコを吸うと、頭の中の毛細血管がキュッと縮まって、血液が頭に回っていく感じがあるじゃん。あれが気持ちいいんだけど、サウナの水風呂と似ているような感じもしてさ」

死に近づいている感覚なのかもね、と彼は呟いた。『喫煙は緩やかな自殺』という言葉をふと思い出す。あれは広告的な何かだっただろうか。確かにタナトス的な快楽があるのかもしれない。

「もうひとつ似ている感覚があるんだけど、なんだと思う?」

彼はこちらを目を向けて尋ねる。全然思いつかない。なんだろう、バンジージャンプなどだろうか。

「ああ、それもそうかもね。ただ僕は、海に深く潜った感覚と似てると思ってて」

潜水? と尋ねると、彼はうなづく。漁師のようなことをやっているのは聞いていたが、素潜りまでするとは知らなかった。

「深くまで潜るコツは、頭の中を空っぽにすることなんだ。余計なことを考えていると、酸素が足りなくなって、長い時間潜っていられなくなる。だから意識を無くして、体全体に回る酸素を減らしていく」

5分くらいなら、余裕で息を止めていられるぜ、とニヤリと彼は笑う。すごいな。意識を消すことでエネルギーを節約するなんて仮死状態みたいだ。どんな感覚なんだろう。コールドスリープとか? SFの世界だな。

「有名なフリーダイバーがさ、『潜水とは瞑想である』みたいな話をしてて。本当にその通りだと思うんだよ。とても気持ちが満たされる」

それがちょっとタバコを吸ってる時と似ている気がするんだ、と彼は言って、もう一度タバコに火を付けた。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。白い煙が部屋の中に消えていく。

「マインドフルネスとか言ってるけどさ、僕らに本当に必要なのはタバコなのかもしれないよね」

睡眠、運動、野菜350gと喫煙が健康に必要なんだ、と彼は笑った。

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寝る前に外でタバコを一本だけ吸うことにした。冷たい外気が火照った頭に気持ちいい。かじかみかけた手で火をつける。

すぅと深く息を吸う。ゆっくりと煙を吐き出すと、白い煙が暗闇の中に溶けていく。音のない暗闇の中。まるで深海の中にいるようだ。たぶん深く積もった雪が、音も、光も、全てを吸い込んでいるのだ。

自分自身もこの雪の中に溶けていく感覚を不意に覚えた。もしかしたらこれが彼らが言う瞑想なのかもしれない。そして、それは祈りとも似ている気がした。

明日の朝も早い。

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