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師を見るな。師の見ているものを見よ。

どなたの言葉だったかも忘れてしまいましたが、僕のさいきん思い出した言葉です。書くことについてもさることながら、勤めの仕事にも生活にも通ずるであろうなお言葉。ははーん、そういうことか、と新しい気付きのきっかけとなるよい思い出し言葉ですね。

時代の流れもあってか、師弟の間柄って薄れていると思うんですよ。むかしに比べたら。面とむかって「ししょー!」「おっしょさん!」って呼ぶこと自体が冗談のひとつになってきているというのか。そんなことないんですよ、実際はたぶん。でも、僕が感じている言葉の「感じ」としてですね。

時代の感じとして薄れてきているとはいえ、僕には師匠がおります。勝手に師匠というかね。書くことについての師匠はnoteにおられるKさん、会社勤めでの師匠はK・Mさん。考えの師匠はI・Sさん。生きること?に関しての師匠は7人のおいっこめいっこと愛犬まるちゃんになります。

あらら、たくさんの師匠がいてくださいますね。まぁ、勝手に師匠ですから。そのへんは数で勝負です!これは冗談ですが。

会社の師匠なんかには直接指導を受けてますが(ありがとうございます)、そのほかの師匠のみなさんには、僕自身が能動的に影響を受けているんだと思います。犬に何を教わるんだ!?って話にもなりますかね。いやいや、まるちゃんには教わることばかりですよ。生まれた時に授かったまっすぐにモノをみる眼であったりとか、子どもの頃のような感受性を取り戻すためには、まるちゃんと過ごしていくことによって可能になるとも感じています。

犬って、まぁ、なんというのか、そのまんまですからね。感情の表現。言葉を持たない(言葉が通じない)からこそのコミュニケーション。人間のことを思う気持ち。生きていく様。などなど。

まるちゃんがうちに来てくれて1年半になりますが、僕がまるちゃんに影響を受けたのは、相手のことを想像して、思いを想って、想い至ること、でしょうか。単純に(かわいいなぁ)(すきだなぁ)という感情は湧きおこりますが、受け手(僕)の解釈というか感覚しだいで教わること、学べたことはたくさんあります。まるちゃんはそれこそそのまんまですから、僕に教えてるつもりはゼロに近いとは思うのですが。そうでもないかな。どうだろう。

「学び」ってこれも、一般化したよく聞きすぎる言葉ですから、まぁ、ありがたみのようなものが薄れているのかもしれませんが、人間的成長には大切な要素ですよね。上がっていくためには、と言い換えてもいい。まるちゃんのことだけを見ていても得られるものも多いです。でも上がっていくためには、と考えると、まるちゃんが見ているものを見る視点といいますかね、大事だと思うんです。同じ場所に立って、同じものを見るというか。想像するちからも養えるであろうし。

師匠のことについて書こうと思っていたのですけれども、
愛犬のことから想像力のことにまで行き着いてしまいました。
そういやブルーハーツも歌ってましたね。

イメージ イメージ イメージが大切だ
中身はなくても イメージがあればいい / イメージ

想像力よ、ありがとう。ですなぁ。

まるちゃんを見るな。
まるちゃんの見ているものを見よ。




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