迂回路

日々感じること考えること、の整頓をします。

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最近の記事

通勤時間

今日は喜びと寂しさを同時に味わう日。 1月から始まった仕事の、区切りの日だということがまずは喜びの感情。 バス通勤の時間とおさらばになるのが寂しさの感情です。 公共交通機関での通勤は人生で数えるほどしかなかったので、今回のように長期間に渡りバスを利用することは初めてのことでした。それから、私が利用していた路線が今年廃線になるのでその寂しさ分も上乗せされ余計に物悲しい気持ち。家から見える赤色の車体が好きだったなあ。 少し話がそれました。 毎日同じ時間に家を出て、停留所で待

    • 余裕

      2024年に入り、新しい仕事が始まった。 今はもう終盤に差し掛かるところ。まずは出来るところからとダイブした新境地は、一日一日が目新しく仕事内容はもちろん人間関係についても勉強になることだらけだったと、締めくくりに入るなど。 ここで仕事をして良かったことの一つに、公共交通機関での通勤がある。日頃車移動の多い私が、バスを利用することで得たこと。 一つは心の余裕が持てたことだ。 ほぼ定刻通りに来るバスに乗り込み、整理券を取り目的地まで向かう。降車停留所前で降車ボタンを押し料

      • 色彩

        簡単に気持ちをリフレッシュできる方法を一つ自分の中に持っておくと、心の安定が揺らいだときに助かることがある。 私は色を使った方法を時々行う。 カラーセラピーや色彩療法ともいうのかもしれない。 まず、自分の好きな色を頭の中に思い浮かべる。そしてその色の具体的なイメージを描く。例えば緑色の場合、田植えが終わり少し成長した7月頃。風が稲を撫でていくところの映像をイメージする。その一面に広がる緑色を鼻から目一杯吸い込んで体の末端(頭のてっぺん、指先、足先)隅々まで行き渡るところを

        • ドラゴン

          私の相棒にドラゴンがいる。 見た目は厳つく黒々しく、体中鱗がびっしりと生え揃っている。 大きな羽は蝙蝠を連想させるが大きさはその比じゃない。 鋭い牙の生えた口からは時より炎が漏れている。太い尻尾はゆらゆらと揺らしながら地面を叩きつけている。 私は至って真面目だ。 心でドラゴンと共存することで少なからずとも精神の安定が得られるように思う。誰も簡単には寄せ付けない手強さと、反して主に懐く優しい性格が私を守ってくれるだろう。

          新年二日目を迎える午後

          私の住む町には車で2.3分、歩いて15分程の場所に温泉施設がある。 去年は結局、給湯器が凍結したときにしか利用しなかったので約一年ぶりに行ってみることにした。 朝から温泉に行くことを予定していたので、午後は早めにわんこの散歩に。 いつもと違う時間。オオイヌノフグリやたんぽぽがもう咲いている!冬なのに小春日和のような気候で、普段と異なる空気に気分が上がる。早く本物の春が来ないかなあ_。 久しぶりに引っ張り出した温泉セットを確認して、いざ。 14時半頃にお邪魔したが、年明け初

          新年二日目を迎える午後

          元旦という日

          あっという間に2024年に突入。 クリスマスから年末年始に向けた慌ただしさは未だになれない。クリスマスの余韻を感じさせる隙を与えない世間の様子が、私との距離を遠ざけていくようだ。心がマイペースなのでどうにも追いついていけない。 いつも必死に脳内を切り替え、しがみつくばかり。 新年を迎え2024年という年をどういう年にしようか。今年の意気込みを固めた日中だった。 そんな最中の夕方、呑気に炬燵に寝転がっていると地面が揺れている感覚。 すぐさまNHKをつけると緊急地震速報がけたた

          元旦という日

          自然療法

          8月のとある日。 また自分の殻に塞ぎ込みたくなる波が押し寄せてきた。今更気づいたことは、どうもそれは“察して”に疲れた頃にやってくることが多いようだ。 少し前に動画撮影用の簡単な機材を購入していた。それを使って撮影する日程を決めていたが、予定外の気持ちの面がブルー。それでも雨の日が続く前に動画を撮りに行きたい。予定より一日遅れで、日の出を撮影しに棚田百選の場所へ行くことに決めた。 当日は3時に起き、4時過ぎには家を出発した。まだ暗闇に包まれる市内を抜けて、徐々に山の奥地へ

          正体

          なぜ思考は停止することがないのだろう。 何も考えない、無になりたいと思えば思うほど、気がつけば悩み先のことが頭にちらついたかと思えばいつの間にか脳内全体を支配していることは往々にしてある。何も考えないって何だろう。無になるってどういうことだろう。 前に座禅に行ったことがある。蝉が声する暑い夏の日だった。 和尚さんからの一つのことに集中することの大切さの話を受け、座布団の上に胡座をかき瞑想をする。目は開けたまま。耳に近づく蚊も受け入れた。 肩を叩かれるのが怖くて数メートル

          開始

          ありのままを吐き出す場所として、柄にもなくブログを始めてみることにした。 笑われるかもしれない。 馬鹿にされるかもしれない。 どうも思考癖のついている私は、今まで本音に重たい蓋をし続けてきた。何度も反芻する気持ちを整理するため、これから自分との対話をブログという形でやっていきたいと思う。 これによって自分自身何が変わるかは未知。 何もしないということは変化なくいつもと同じ時間が流れることで怖さからは離れられるかもしれない。ただ、何もしなければ現状から良くも悪くも何も変わ