依存を減らす
そろそろ珈琲用のペーパーフィルターが無くなりそう、ということで、
「買うために山を降りる?」
と、なったのですが。
ふと。
「買い続けなければ成り立たない暮らし」にギモンを感じてしまい、思い立って、手縫いでフィルターを作ってみました。
切ってまつるだけの簡単フィルター。
伊豆の友人が桜の木で染めてくれた絞り入りの手ぬぐいで作ったので、縫っている間もその友人家族のことを思い出してあたたかい気持ちに。
長く使い続けたいと思わせてくれるフィルターになりました。
残りの布であと3つは作れそうなので、珈琲の味を確認しつつ、違う形も作ってみようと思います。
このところ、YouTubeを見ていると、「食糧危機がやってくる」という内容の番組を多く目にします。
本当にそんな事態になるのかどうかわかりませんが、そうであっても、そうでなくても、立ち止まって考える良い機会にはなりそうです。
電気、水道、ガスといったライフラインはもちろん、食べ物、着る物、日常のありとあらゆる消耗品まで、誰かに頼らなければ生きていけない世界になりました。
だからこそ、有り難みもあり、お互い様、でもあるのですが、依存が過ぎている気がしなくもありません。
依存は、「もっとこうしたい!」という自由を奪い、「もしなくなったら?」という不安を呼び寄せます。
ペーパーフィルターがなくなって、「明日は珈琲が飲めない」というだけで、「どうしようか?」と、ほんのちょっとブルーに。
こんなことは些細なことです。
もっと言えば、珈琲豆自体も依存をしているのですから、どこまで依存を減らすのか、突き詰めればキリがありません。
でも、当たり前の日常をちょっと斜め方向から見て、「あれ?」と思う。
こうしたことは、大切だなと思うのです。
それに、実はとても楽しい。
「あれ?」の瞬間に、見えていた世界が変わるのですから。
おかげで、友人のことを思うあたたかい時間が得られ、使うのが楽しくなるような暮らしの道具が増えました。
そんなこともあって、少し前から暮らしの中の依存の見直しを加速させています。
無理のない範囲で、楽しめることから。
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