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2022年8月23日の日記

朝から目玉焼きを作ると、ちゃんと生活をしてる感を演出できる気がする。
ただフライパンに卵を割って、焼いて、トーストに乗せたら塩胡椒するだけなんだけど。
前後の準備や増える洗い物という付随する手間は意外と多い。
だから毎朝はしんどい。
たまにやるから、「あー今朝はちゃんと頑張ってる!」と思える。
やろうと思えば出来る子である自分を、そうして定期的に確認するのだ。

先週、安さに目が眩んで手を出した桃があまりに残念(固い、香りもない、当然甘くない、たぶん熟れてない)で絶望していたところ、食のプロである友人たちからコンポートにすることをすすめられた。
そんなおしゃれなもの食べることすら滅多にないのに、自分で作るなんて相当面倒なのではないかもいう予想をよそに、インターネットで検索してみると案外簡単そう。
材料が桃の他に水とグラニュー糖だけというのも魅力。
というわけで、さっそくトライしてみることに。

残念な桃に包丁を入れ、ザクザクという桃らしからぬ音を立てて適度な大きさの櫛形に切ったそれを、とても合法とは思えないレベルの砂糖をぶち込んだ湯でコトコト煮たのち、冷蔵庫で冷やす。
皮がつるんと剥けないという事態だけがネットのレシピ通りにいかなかったところだが、その他は概ね想定通り。
まさに桃色のシロップにぐったりと浸かる果肉は、缶詰やゼリーに入ってるアレ。
これがこんなに簡単に自宅で作れることに仰天した。
どうしてこの歳になるまで知らなかったのか。

手軽だと思っていることに意外と面倒な作業が付随していることもあれば、ただ想像だけで億劫だと思われていたことが存外手間いらずなこともある。
前者は時間と心の余裕によって、後者は集合知によって解決されるのだ。

睡眠と良き友、たぶんこれらが私たちの日常を支えている。

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