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悪夢の中で叫んでも声なんて出ない

体調が悪くて寝ていたら、悪夢をみた。

途中まで平和な、楽しい夢のはずだったのに。じわりじわりと焦る状況に追い込まれ、徐々に恐怖心が押し寄せ、最終的にホラーゲームの「ゲームオーバー」のような、見えている映像が大きく揺れる演出をされて「おわった」。

耐え難い恐怖体験だった。それはもう、本当に。
だから私は、声の限りに叫んだ。悲鳴を上げた。思い切り。

今自分がいるのは、自室の布団だと気がついた。なんとなく部屋の中がみえる。私は横になっていて、さっきまで悪夢を見ていた。
それがわかっても、恐怖心が消えない。叫んでいるはずなのに、うまくいっていない気がする。体を動かそうとしてみた。全く動かせない。声を出す。まだ夢の中にいるのだと感じた。どこかから恐ろしい声が聞こえる気がする。早く、はやく、起きなければ。
焦って、怖くて、とにかく抜け出したくて、必死に意識を引っ張り上げた。鉛のように重たい体を、自分の意思では動かない体を、無理やりどうにかこうにか動かす。頭をふった。目が開く。今、ちゃんと体を動かせたのだと理解した。

そしてやっと本当に目が覚めた時、「全部夢だったんだ」と気がついた。ようやく、本当の現実に戻って来ることができたのである。

悪夢から目覚める時は、大抵そうだ。起きたと思ってもまだ夢の中で、夢の中だと自覚がある分、そこから目覚めるのにとても苦労する。そしてそのうち、夢だか現実だかわからなくなる。それでも本当に目が覚めれば、ようやく自分を取り戻せる。

目が覚めたとき、ひどく喉が乾いていた。
あ、と声帯を震わせてみる。声が出た。現実で声を出せたとき、今までは一切声など出ていなかったのだと気がついた。さっき叫んだと思ったのも、幻覚だったのだ。

夢の中でもがきながら、必死に叫びをあげた、と思っていた。しかしそれは幻だ。

寝ている間に声を出そうとするのは、その声が現実に届くと思っているから、という理由もあるかもしれない。見えているものや聞こえているものは自分が脳内で作り出した悪い幻であっても、実際に喉を震わせ声を発することができれば、きっと現実に連れ戻してくれる、と。救いや期待をかけた叫びだったかもしれない。

しかし、その悲痛な叫びも全て、現実には何ら干渉することのできないただの幻にすぎなかった。

悪夢の中で叫んでも声なんて出ない。

だからその分、現実に帰って来られたときの安堵はとても大きい。
夢はいつか醒める。
悪い夢から醒めた瞬間、どっと疲れと安心が押し寄せる。全く休んだ心地がしない。いつか醒めるとは言っても、できれば悪夢はみたくない。

ただ、夢を自覚する以前の今日の悪夢は、少しだけ特殊だった。

大抵、私の悪夢は分かりやすく何かに追われていることが多いのだが、今日は違った。
みていた映像はあまり思い出せないが、感情は記憶にある。(正確には、感情があった、と思い出したことを覚えている)
罪悪感、懺悔の気持ち、そして恐怖だ。

追われる恐怖というより、追い詰められる恐怖だった。原因は自分にあるのだと責められ、罪悪感があるからより恐怖心が増す。後悔の気持ちや申し訳なさが出てくるが、もう取り返しがつかない。だから恐ろしかった。
自分が内へ内へとどんどん追い詰められていく感覚がした。物語のクライマックスといわんばかりに、恐怖の感情もどんどん高まっていく。そして最後、何かに捕まったかどうだったか覚えていないが、突然薄暗い視界が勢いよく揺れた。完全に「ゲームオーバー」だと思った。
純粋にびっくりしたし、純粋に怖かった。でも少しだけ、どこかに面白さを見出だしてしまっていた自分もいた、ような気がしている。

起きた直後、まだぼんやりとした頭のままで「自分がホラゲクリエイターだったら、きっと良いネタになったな」なんてことを思った記憶がある。意外と余裕があったのかもしれない。

夢の中の体験や物語が、新鮮な気付きや創作意欲に繋がることはままある。夢での経験は時間が経てば徐々に薄れていくが、面白いと思ったことは少し記録してみたりする。今もそう。

とはいっても、せっかく夢をみるならやはり最後まで楽しいものが良いだろう。起きたときに、例え全部忘れてしまっているとしても。
どうせ同じ夢の中なのだから。