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3年ぶりに新海誠監督の『天気の子』見てきたよ!

ぼくたちはずっと、天気がよくなることを心から待ち望んでいた。ついに願いは叶い、天気は良くなった。でも、この晴れた空は彼女の犠牲によってもたらされたものだ。たとえみんな望んでいたとしても、どれだけ気持ちの良い晴れだとしても、彼女がいないならひとつもうれしくない。たとえこの先一生、いや未来永劫晴れなかったとしても、彼女に生きていてほしいんだ。そばにいてほしい。


新海誠監督『天気の子』の再上映を見てきた。3年ぶりに映画館で観た。3年前は「まあまあ面白い」程度の感想だった。3年たって何を思うのか楽しみだった。中身は変わっていなかったとしても、それを受け取るぼくは変わっている。それならきっと、映画を観て抱く感情も変わっているだろう。

主人公は、離島から家出をして上京してきた16歳の男の子・森嶋帆高だ。東京はずっと雨続きの異常気象に見舞われていた。

彼は、特別な力を持った少女に出会う。彼女は空に祈ると雨を晴れに変えることができる、晴れ女だったのだ。そこで二人は、依頼に応じて晴れに変えるビジネスを始める。ビジネスは順調だった。

しかし、彼女の力にはリスクがあった。狂った天候を元に戻すには、彼女が人柱となって犠牲にならなければならないのだ。力を使えば使うほど身体は透明になり、人柱に近づいていく。

彼女の心と空はつながっている。

母親を失い、中学3年生のひなと小学生の弟・凪と2人暮らしをしていたが、児童相談所の人は施設に暮らすよう説得してくる。

帆高は実家の両親に行方不明届けを出されており、さらに銃を所持・使用したことが警察にバレ、銃器不法所持の疑いをかけられていた。3人の幸せな、笑顔に満ちた生活が壊れようとしていた。

彼女の不安や恐れに呼応するかのように、東京の気候はひどく荒れていった。台風並みの低気圧が発達して、気温はみるみる低下し、ついには雪が降ってきた。夏なのにもかかわらずだ。

ついに彼女は決心して人柱になり、天候を元に戻す。そして8月のうだるような暑さが帰ってきた。

帆高は外に出て、晴れた青空を仰ぐ。

でも、この青空の下に陽菜はいない。どこにもいない。なぜならこの晴天は、彼女の犠牲によってもたらされたものだからだ。こんなに晴れているのに、心は全く動かされない。

ただ、「彼女がどこにもいない」ということがひどく心をかき乱す。心にぽっかり穴が空いてしまったようだ。その穴から冷たい冷気が吹き付けて、全身が凍えるように寒い。

皆が待ち望んでいた晴れなのに、心も弾まんばかりの晴れなのに、ひとつも心が動かない。失われてしまった晴れに、ぼくたちはどうしたらいいんだろう。そんなやるせなさに全身が打ちひしがれる。

このシーンが好きだ。心躍るはずの晴れの天気が、一転してその陽の光の全てが、まるで自分を責めるかのように降り注いでくる。

このギャップがすごくいい。

最終的に、帆高はひなを人柱から解放し、世界の天気は狂ったまま元に戻らなくなってしまった。

世界が正しくあることより、ただ彼女が生きていてくれることを願う。この愚かさ、みっともなさがいい!美しい!

そんなこんなで『天気の子』の感想でした!お近くの映画館でやっていたら是非見に行ってほしいなー。

P.S.劇中、主人公が手にしている『ライ麦畑でつかまえて』が読みたすぎて、映画観た後すぐ買っちゃった。前に読んだけど、今度は何を感じるかすごく楽しみ😎

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