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リンス in 教育

リンスはいつになったら周りのペースに合わせてくれるのだろうか?

僕がリンスをリンスとして自覚したのは中学2年〜3年にかかるぐらいの時期だったと思う。女子が近くを通る髪の匂いだけで、せっかく覚えた歴史の年表が全部ぶっ飛ぶぐらいの多感な時期である。

小さい頃、「できる子ができない子に合わせる」みたいな教育が僕の時代にはまだあった気がする。今はどうだか分からないが、言葉尻一つ取り上げて、火あぶりの刑に処すような時代なので、できるできないを評価するのも難しいのかもしれない。

そうなってくると本人が自覚できない。このフェーズで悔しさを覚えることができれば変われるチャンスだったかもしれないのに。

だから「自覚する」ということが、自分を変えるための第一歩になる。
僕はそう考えている。

「変わる」と宣言する人を見るときには、自分の足りない部分をちゃんと表現(言葉や文章)できているのかチェックする。
「これからは気をつける」と口にする人は、何について気をつけるのかちゃんと理解して表現(言葉や文章)できているのかチェックする。
これは、僕が人を雇う立場だったときや、人を指導する立場だったときに、やっていた方法だ。もちろん、いちいちチェックしなくても信じてみようと思う子もいる。

で、輝かしい実績のない僕の教育やマネジメントの話は無駄なので
リンスの話に戻す。リンスの話がもっと無駄なのかどうかは神のみぞ知る。


リンスには自覚がない。
マイペースすぎて、周りのスピードに合わせられない。
その自覚がない。

だから、リンスは変わらない。変わろうともしていない。

もう、なんていうか。リンスって圧倒的に減らないよね?って話。
ちなみに僕は30代の男なので、その年代の一般的な話と捉えて欲しい。

そして文句を言いたいのは、100円ショップのトラベル用のシャンプー&リンスのこと。
あのリンス絶対に余るよね?
そんで、シャンプーくらい100円ショップでいいだろうって考えるのは男性の方が多いと考えられる。

ということはだ。

100円ショップのトラベル用のシャンプー&リンスを購入するのは男性比率の方が多いと予測できる。
つまり、リンスは半分くらいのセットの方が良いはずなのだ。

他の人はどうしているのだろうか?
余ったリンスは捨ててしまっているのだろうか?
なんか捨てるだけなのは、ちょっと勿体無いと思ってしまう。

僕の落とし所としては、最終的に家に持ち帰って使うわけだが、なんか早く使い切りたくて全身をリンスまみれにしてしまう。そうやって、いつもより少しヌルヌルな自分を楽しむ特別な日にしてあげるのだ。

そうしないと、いつまで経ってもお風呂場にトラベルリンスが居座り続ける。いつまで経っても試験を突破できずに現場で腐っていく歳食った先輩みたいなポジションのリンス。
そんなリンス、見るに耐えない。
そんなリンスを将来大きくなった息子に見せたくない、という気持ちが出てきた。

息子が何かに熱中して頑張っていたとする。
頑張りすぎて空回りしている時だってくるだろう。
そんな息子に僕は声をかける。

「おい、ちょっとはペースを落としたらどうだ?」

「ペースを落とす?⋯⋯あのリンスみたいに?」

「いや、違っ」

「パパはあのリンスみたいに僕が腐っていく姿が御所望かいっ!?」

「⋯⋯っ!」

僕は何も言えない。
体を壊す息子を止めることができない。
あのリンスのせいで。


余ったトラベルリンスの良い使い道、何かあれば教えて欲しいですm(_ _)m

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