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小さな闇の暴走

確か小学校6年生だったと思うが、図工の時間でお面を作る授業があった。
お面と言っても体の半分ぐらいの大きさはあるバカでかいお面を作る授業だ。

顔の型を作ってから粘土で造形し、絵の具で色をつけて仕上げる。そして出来上がるのはでっかい顔。今思えばなかなかクセのある実習だった。

もはやお面というより鎧だ。

当時は優等生の名を欲しいがままに過ごしていて、光属性に振り切っていた僕ではあったが、作ったお面は般若と死神が融合したとしか思えないような顔。つまり、邪神王と呼んでも差し支えないお面を完成させた。

角という角を生やし、複数の眼をギラつかせ、牙という牙を尖らせ、口の周りには赤い液体がビシャビシャに撒き散らしたお面だ。
もう人間を食うことしか考えてない顔面を、僕は笑顔でせっせと作っていた。

情緒が不安定だったわけではない。確かに先生や周りの反応は何とも言えないリアクションだった気がする。大人になった僕が振り返ってみれば、優等生が笑顔で邪神を作っていたら犯罪の匂いがして近づけないという気持ちも分かる。

しかし、当時の僕の感情としては「最高にかっこいいお面を作ってやる」だった。

結論としてメチャクチャわかりやすく説明すると、少し早い中二病を患わせていただけだ。
今では中二病という言葉はもう古いのかもしれない。
ただ、この言葉が流行っていた時にノリで「俺も昔、中二病だったわ」と言ってるような奴らとは違う。僕はしっかり病として患っていた。

違いとしては、本心で闇という概念や創造上の存在をカッコいいと崇拝し、周りを気にせず自分の中のありったけのカッコいいを露出してしまう、という症状が出ているかどうかだ。昔アニメをよく見ていた程度の話ではない。
僕はあろうことか、学校の授業でそれを作り上げた。

「みんな見てくれ、俺の闇はカッコいいだろう?」

口では発していないが、作品にその想いのすべてが込められていた。

結果として、その作品については誰も触れてこなかった。
いや、触れてはいけないモノとして扱われた気がする。

その辺は曖昧ではあるのだが、作品について話した記憶がないのだ。もう1人の僕が自衛として記憶を封印したのか、本当に話題にならなかったのか。
真実は定かではない。とにかく「やっちまった」という空気を生んだのは覚えている。

この思い出もせっかくなので、自分の息子の教育に役立てたいと思っている。作品を創造するためのエネルギーは、基本的にネガティブでもポジティブでもどちらでも良いとは思っている。
ただ、ネガティブのカッコ良さを認めてもらうには、ちゃんと相手側のことも理解する必要がある。そう教えてあげたい。

例えば、ちょっと知ってるくらいの知人が自信満々に作品を披露したとする。どうにもカッコ良いとは思えない。
しかし、その作品がポジティブなエネルギーを纏っていたらどうだろう?ポジティブなエネルギーとは、「みんなを笑顔にしたい!」というメッセージが込められている、的な要素だ。

そうなってくると、カッコ良いとは思えないのに「いいね!」と同調をしやすくなる。この「(何かよく知らんけどとりあえず前向きで)いいね!」という同調はMPの消費が少ない。頭が空っぽでも使える。

反対に作品がネガティブなエネルギーを纏っていたらどうだろう?
よく知らんやつの悶々とした作品。しかも共感できない。こいつに無理やり同調しようとすると、大量のMPを消費することになる。だから基本的に無視になる。

そして無視できない友人の作品だとしたら、少しややこしくなる。同じような感性を持っていてネガティブさを共感できれば最高だ。その時はポジティブ作品より深い共感を得られる可能性が高い。

しかし、共感できない場合。でも友人が頑張って作った作品だから無視できない。その時は、ものすごい大量のMPを使って「いいね!」と同調をする。結局は「いいね!」を返すことで精一杯なのだが、その「いいね!」の重みは違う。

つまり、相手の負の感情を包んであげるにはそれなりの技術と莫大な労力が必要なんだ、ということなのだ。

将来自分の息子が学校の課題で邪神王を生み出した時を想定してみた。
おそらく僕の息子はクラスには理解されないまま、バカでかい顔の邪神王を家に持って帰るのだ。自信なさげに俯いた顔をした息子が、人間を食ったばかりの邪神王を抱き抱えていたとしてもそのギャップに笑ってはいけない。

「お、それ学校の課題か?」
「⋯⋯うん」
「どうした?元気ないな」
「⋯⋯別に」
悔しそうに俯く息子が抱き抱えるお面を指さして僕は言う。

「カッコいいじゃん」

「⋯⋯え?」思わず顔をあげる息子。

MPは半分ほど持っていかれたが、僕は気にせず息子を褒め称える。
「すげえこだわってんなぁ!」「よく思いついたなぁ!」「分かる人にはメッチャ刺さるやつだね!」とか言いながら持ち上げる。
その後に「でも分かるやつ少ないんだろうなぁ」とか「勇気あるなぁ」とフォローを入れる。

闇談義で盛り上がる二人。
そして最後は「よーし。今日はパパと寝るか!」という家族ものハッピーエンドの基本形とも言えるセリフで締めれば完璧だろう。

いや完璧でもなんでもない。息子に何も教えられてない。
リアルに想像してみたら、ネガティブ云々よりもまず元気付けたい衝動に駆られて、とにかく褒めちぎってしまう、ということが分かった。
というか落ち込んでいる息子に対して「相手のことを考えろ」とか、そんな鬼畜な教育なんて、僕にできるはずがなかった。
親なら問答無用で抱きしめろ。胸に抱えた邪神王ごと抱きしめるべきなんだ。

もし、自分のお子さんが同じような状況になった時にはぜひ参考にしていただいきたい。

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