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ニーアオートマタから考えるあれこれ


皆様こんにちは。
うじまるです。

お久しぶりの投稿になってしまいました。
読んでくださっている方がいればの話ですが、申し訳ありませんでした。

正直なところ今回が死とか生についての最終回の予定だったのですが、思いのほかネタが無くて何書けば良いのか全然思い浮かびませんでした笑

苦肉の策として今回はゲームからネタを引っ張ってきました。

PS4で発売されているNieR:Automata(ニーアオートマタ)
というゲームがあるのですが、一時期私はドハマりしまして結構死とか生について考えさせられもする作品でしたので抜粋させていただきました。

では、簡単にゲームのあらすじをご紹介します。

西暦5000年くらいのお話。
突如地球に表れたエイリアンが生み出した機械生命体は地球に大きな損害を与えました。
人類は月に逃げましたが、絶滅の危機を迎えていました。
そこで機械生命体を討伐すべく人類が発明したのがアンドロイドの兵士。
その機械生命体とアンドロイドの戦争の様子を描いた作品となっています。

かなりざっくり説明するとこんな感じです。
要は機械 VS 人間を模した機械です。
↓こんな感じで左の人間っぽいのがアンドロイドで右側が機械生命体です。

このゲームの面白い所は主人公が人間の形を模したアンドロイドという点です。
大抵のRPGのゲームを想像してもらいたいのですが、ゲームオーバーつまり死んでしまった場合はセーブポイントからやり直しですよね?

このゲームも機体が破壊されてしまったらゲームオーバーでセーブポイントからやり直しという点では同じなのですが、一つ違うことはゲームオーバーになった場所に自分の機体が残されているということです。

要は自分が死んだと分かっているのに生きて自分の死体を見ることが出来てしまうわけです。生身の人間の私たちには想像もできないですよね。

というのもアンドロイドは機械なので機体を量産して活動中の機体の記憶(記録?)をアップロードしておいて別の機体にダウンロードすれば同一人物が簡単に出来上がってしますのです。

ここからが本題となります!

では仮に人間にも記憶を埋め込むことが出来たとしましょう。
私が死んだとして、私の生前の記憶や人格などを別の人間にダウンロードしたとします。
そこで私と名乗る人物が私の家族の前に現れたらどうでしょうか?
ただただ恐怖ですよね笑

じゃあアンドロイドのように姿形が全く私と同じ場合だったらどうでしょうか?家族は私だと認めてくれるのでしょうか?

はっきり言ってそんな状況を想像できないですし、状況や価値観で対応が変わるかもしれませんが、一度はその人の死を認知しているのにも関わらず、限りなく同一人物に近い人が再び目の前に現れたら私はかなり困惑するでしょう。

結局のところ何が言いたいのかと
自分は自分でしか存在できない

ということです。

また例え話になりますが
AとBという選択肢があったとして私だったらAを選択するとします。
恐らくアンドロイドの私も今までの記憶から統計を算出してAを選ぶ可能性が高いでしょう。

しかし人間は日々変化するものです。
人間としての記憶と人間だったころの記憶ではいずれひずみが生まれてくるでしょうし、記憶からの統計値での判断では本来の自分と選択が異なる場合もあるかもしれません。

つまり、自分が自分として生きられるのは他の人間でもなく、アンドロイドでもなく、自分だけなのではないでしょうか?

というのが私の結論というか考えたことでした。

まぁこれも現実で起こっていることではないので語るまでもない当たり前のようなことなのではありますが...笑

でも昨今のゲームってリアリティもさることながら考えさせられるストーリー性もあって無駄に疲れる反面色んな形で楽しめていいですよね〜

はい。そんなこんなでとりあえず死や生に関しての記事はひとまずここで一段落つけようかと思います。

思い立ったら書く感じにしようかと思います。

次はどんな記事書くかは未定ですね。
まぁブログに特に決まりなんてないので思う事気ままに書いていけたら良いですかね。

〜完〜 

うじまる




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