生きがいyokonaga

好きと得意はスイッチではなく、グラデーション

私は2017年と2018年に、商業高校の先生からお話を貰い、地元の商業高校6校に通う生徒さんに向けて授業をするという、貴重な機会をいただきました。

今回noteを書くのはその授業で伝えた、「生きがいを持とう。」というテーマです。

「生きがい」なんて、生徒たちからはちょっと重い奴と思われていたかもしれませんね笑

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仕事とは何でしょうか?

高校生たちに聞くと

「働いてお金を稼ぐこと」

と、ほぼ全員が回答します。

大人たちに聞いても、多分同じような回答が返ってくるのではないでしょうか。

この回答自体が間違っているとは思っていません。

「ただ、物事をどう捉えた上で、この回答なのかな?」という所を因数分解して捉える必要があります。

因数分解するために、一つの図を紹介します。

海外メディアでも“IKIGAI”というアルファベット表記で紹介されたことがある「生きがいの図」です。

◆生きがいの図

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この図を自分なりに解釈して翻訳しました。

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(※翻訳は直接的な英訳ではなく、私個人の解釈を入れた準オリジナルです。)

4つの要素「好き」「得意」「稼げる」「世間のニーズ」があり、それが重なるところが”生きがい”とまとめられています。

図の中にも書いていますが、それぞれの要素を簡単に書き直すと

◆好きなこと

どれだけでもやっていられる事。時間を忘れるような事です。
仮に24時間続けても苦にならないぐらいのこと。熱中という言葉でも表現できます。子供の頃は誰もが好きなことに熱中できていたのではないでしょうか。

◆得意な事とは

他の人よりも”なぜか”上手くできてしまう事です。
“なぜか”という所が大事で、自分にとってそこまで特別じゃないと思っていることも多々あります。他の人に言われてもなかなかそれが得意と本人が認識していないこともあります。得意だからこそ、自覚がないんですよね。

(上記2つはまた後ほど掘り下げて書きます。)

◆稼げるとは

そのまま、お金を稼げる事です。
お金に限らず、最近だと信用を稼ぐ、フォロワーを稼ぐという言葉も出てきました。知名度を稼ぐというのも大事な稼ぐ要素です。
SNSが普及する今、ここの稼ぐという概念は大きく変化しつつあります。

◆社会のニーズとは

社会的が欲していること、つまり欲求です。
美味しいものを食べたい。遊びたい。楽にいきたい。安全でいたい。健康になりたい。猫と過ごしたい。綺麗になりたい。会社を大きくしたい。地球を綺麗にしたい。動物に優しい社会にしたい・・・など人の数だけニーズがあります。
このニーズは時代の流れ、場所、スケールによって簡単に入れ替わりますが、ここでは広く社会のニーズとまとめます。

上記をまとめると、こうなります。

 「仕事=社会のニーズに合わせて稼ぐこと

だから仕事をしている時間は好きと得意は一旦置いといて、我慢して我慢してたくさん稼いで、そしてアフター5(仕事終わりの意味)や土日に好きなことをしてストレス発散をする。

そんな社会通念が一般的になっているのだと思います。

◆高校生からみた社会とは

この図を社会経験がまだ無い高校生の日常の状況は下記のように構成されています。

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学校から決められたカリキュラムの中での特定の授業や、部活動自体に「好き」を見つけたという人はそれはそれで理想的ですし、

部活動以外の道を選んだ人も”好き”に向き合う余裕時間のある生活が可能です。

学生の頃までは「好き」と「得意」に沢山向き合う機会が多いのです。

それに対して”仕事とは何か?”という問いをした時に、普段の生活のイメージを消去した先に仕事があり、「仕事とは稼ぐことだけだ」と、下記の画像のように切り分けて認識しているのです。

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好きや得意を一旦頭の片隅に置いて、社会のニーズに合わせて稼げる職業を選ぶ

つまり親がオススメするのは高校生がまだ見えていないであろう社会のニーズに安定感があって稼げるお医者さん、公務員、上場企業・・・という構図が出来上がるのです。(あくまでも我が子に安全を届けたい親の価値観として)

仕事とは稼ぐために働く事。

だから、「好き≠稼ぐ」と認識する。

最初に書いた、「仕事とは、社会のニーズに応じて稼ぐという認識は間違いではないと思う。」という言葉の意図はこれです。

「好き」は「好き」。

「稼ぐ」は「稼ぐ」。

であり、好き=稼ぐ・・・ではないのです。

そこを事実として受け入れた上で考えるべき論点として、残念であり不幸になりやすいのは、好きや得意という領域と、稼ぐという領域が重ならないことです。

今でこそ、インターネットやスマホの普及でSNSという媒体ができ、YouTuberやインスタグラマーに代表されるように個人が注目されやすくなったことで好きの延長で稼ぐ人が目立つようになってきましたが、現時点ではまだ特殊な例で、社会の大勢の中で見ると「好きを仕事に」という言葉は理想論と言われてしまいます。

◆「好きを仕事に」は理想論。から脱却するためには

理想論から抜け出す第一歩を進むためには、好きと得意の領域を生かすために転職したり起業するといった考えではなく、徐々に取り入れる事が大事です。

自分の中の好きや得意を棚卸しし、自分なりに整理し把握することから始めるのです。

それが出来たら左上の好きや得意の領域から右下の稼ぐや社会のニーズに向かうこと、または右下の稼げる、社会のニーズの領域から左上の好きや得意に向かうことを徐々に目指して行けばいいのです。

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スイッチではなく、グラデーションという考え方です。

左上から右下に行くこと、右下から左上に向かうこと。これは人や環境によって難易度は変わりますし、動きやすさの向き不向きはあります。

この動きやすさを可視化し、実際に動き出すために大事なことは、自分の好きと得意を理解することから始めるべきです。

ここで先ほど後回しした”好き”と”得意”を掘り起こします。

◆好きや得意を因数分解しよう

講義をした当時に流行っていたゲーム、高校生の日常生活の中にある得意や好きを高校生から聞き、即興で因数分解したものです。

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高校の頃は授業、課外活動、部活動などの様々なカリキュラムに追われるが故に、自分が望まないことも数多く経験します。

そう言った生活の中で、意外な得意や好きに出会うことがあります。

自分で好きな部活動を選ぶ、または部活動をせずバイトや趣味といった自分の時間を使うことも一部の特殊な環境でなければ可能です。

その選択では、自分でも知らないうちに他の人とは違う得意で戦える選択肢を自然と選んでいたり、熱中のきっかけになるような手法を選んでいたりします。

そこを掘り下げてみましょう。

授業の合間で好きなことを個別の生徒に掘り下げて聞いていた時、荒野行動という当時流行っていたゲームの話題になりました。

◆ゲームが得意(好き)な人

荒野行動(ゲーム)が得意という人には、冷静沈着、手先が器用、反射神経が良い、戦略が優れている、周りの状況判断が得意という特徴があります。純粋に銃などの世界観が好きというのもあるかもしれません。

加えて、このゲームには一人で黙々と楽しむだけでなく、チーム戦もあります。

「この人は上手じゃないけれど、この人がいると何故か勝てる」

そんなプレイヤー(仲間)がいると高校生から聞きました。

その人は、指揮系統が優れているのか、仲間のバランスを取っているのか、それとも雰囲気をよくしているのか。他の人の苦手をどんな得意で埋めているのか。

残念ながらそこまでは追求して聞いていませんでしたが、その環境ではその人の本質的な得意が生かされていたのだと思います。

つまり、チームプレーが得意、周りを盛り上げるのが得意、指示が的確、みんなを冷静にさせるのが得意などといった武器を活かしているのかもしれません。

こういう話をすると「ゲームだよ?」と蔑ろにする発言が出ることがありますが、そんなもの関係ありません。

そういった自分を素に出せるゲームの中でこそ可視化される特徴があるのです。

◆イラストが上手な人

イラストが上手い人を例にしてみます。イラストが得意な人は頭の中に描きたい明確な像があると聞きます。

ライオンやキリンと言われると、頭の中にその映像や特徴が鮮明に頭に浮かぶらしいのです。

私はそういった特技が一切ありませんので、記憶で絵を描けません。

絵が上手な人、得意な人というのはただ手先が器用、丁寧に絵をかけるという技術だけでなく、知らず知らずの内に記憶力や想像力、観察力といった得意分野を使っているのです。

イラスト(描く事)が得意な人の中にも個性があり、優れた点が違います。

観察力が優れている。表現力が優れている。創造力が優れている。発想力が優れている。応用力が優れている。

など、イラストが得意な人の中にもかなりの種類があり、描かれる絵にも個性が存在します。

このように私たちが想像している以上に得意には種類があり、自分の得意というのは、本人にとって当たり前のことすぎる故に、気づきづらいのです。

◆学校の授業でも判別できる

学校の授業でも1つ1つの教科やセクションを因数分解していくと、非常に多くの要素があることに気づきます。数学や国語といった単体の教科の中でも得意不得意はあったはずです。

私個人を例にすると、私は数学の因数分解や物理の要素分解をする授業は凄く得意で誰よりも早く理解しましたが、公式や手法を記憶して解く問題は苦手でした。脈絡のない公式や記憶が苦手だったのです。

つまり、私はただ数学や物理という教科が得意というわけではなく、物事を分解し、整理し、それを心地よく配置するということが得意だったというだけでした。

振り返ってみると国語は得意ではありませんでしたが、複雑な状況を要素分解して状況を把握する設問に関しては非常に得意でした。

学校ではテストや内申点でいい点を取る事に惑わされてしまい、数学や物理という教科単体が得意かそうでないかで選びがちですが、本来は授業の中で感じた事に個性や好きが隠れているはずで、そこを大事にするべきです。

授業は苦痛という人もいるかとは思いますが、そのやらなきゃいけない中から「あれ、これ得意かも?」が出てくることがあるのです。

高校生の皆さんはただ授業を受けているのではなく、これだけ多くのことを学校の中で一気に体験しているのです。

だから、嫌いな授業も一度でいいから向き合ってみる事が大事です。

部活やクラスでの自分の役割でも、何で感謝されたか、どういった時に周りが喜んでくれたか、何で活躍できたかを因数分解する事が大事です。

振り返れば、幼少期から高校までは必然的に好きや得意に向き合っていたのではないでしょうか。特に幼少期は好きや得意と一番自然に向き合うことが出来る時期です。

それ故に、幼少期から学生時代にかけて、自分が瞬間的でもいいから心地よいと感じていた行動を徹底的に思い出し、因数分解し、好きと得意を見極めていくことで見えてくる何かはあるはずです。

学生時代に自然と選んできた”好き”や”得意”を頭から排除して社会のニーズに合わせて働く必要はありません。

好きや得意をしっかりと持ったうえで、社会のニーズと稼ぐを捉えるべきです。

◆最後に

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繰り返しになりますが、仕事とは社会のニーズに合わせて稼ぐことという認識は否定しませんし、好きと仕事は別の領域。

その通りだと思います。

でも、学生の頃に感じた好きや得意という左上の領域を決して忘れずに少しずつでいいから右下にある仕事の領域に伸ばしていって欲しいのです。

または、今既に仕事をしていて、その仕事が辛いと感じているのであれば、左上の好きや得意の方向に少しずつでも向かっていける何かを考えて欲しいのです。

好きや得意を活かせる仕事に転職するのは現代の社会において理想論と言われてしまうのは事実です。難しい一面もあるかもしれません。

でもグラデーションのように自分の生活徐々に取り入れていく感覚があれば、それは不可能ではないはずです。

是非皆さん自分の好きと得意を見つけてみてください。

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以上のような講義を商業高校6校の高校生に向けてさせて貰いました。

ありがたいことに、この内容は引率の先生の方々や、生徒さんのアンケートからもご好評を頂きました。

途中にも書いたように、私は物事を因数分解して整理することが得意であり、好きだったからこそこのような授業になったとも言えます。

この好きや得意の捉え方は時間内で話せるだけの説明ではありますので、突き詰めていくと、もっと違った複雑な世界も見えてくるとは思いますが、この基本に立ち返る事はとても大事なことです。

メッセージが届く人に何かの参考になれば嬉しいです。

最後まで読んでいただけました方、ありがとうございます。

高校生に向けて、、、というより何よりも高校生時代の自分に伝えたかった内容なのだと自覚しています。

色んな人に相談しながら作ったこの資料をこうした公の場で発信する機会があることを嬉しく思います。


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