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「おまえがなんとかしろ」できなければ「黙れ」
東京大学大学院教育学研究科教授・本田由紀先生のXでの言葉が非常に得心するものでしたのでのでご紹介します。
いわく、
政治への批判的意見に対して「お前が立候補しろ」、貧困を憂える声に対して「お前が財産を寄付して助けろ」、戦争や虐殺に反対する声に対して「お前が現地に行け」という発言には一切与しない。その全てに、「でなければ黙れ」という圧力が明に暗に付随しているからである。
— 本田由紀 (@hahaguma) May 23, 2024
2000年代中盤からのバックラッシュ現象のなかで常に何かを封じ込める言説として巷間に流布されたキーワードが「対案だせないならば(黙れ)」というものです。
しかし、こうした黙れと言われる「政治への批判的意見」をつぶさに分析するならば、それは「対案を出す以前に、おかしいだろう」という叫びがほとんどであることを勘案するならば、プラトンが描写するソフィストたちが多用した詭弁術というレトリックにほかなりません。
「お前が立候補しろ」というならば、そういう「お前が立候補しろ」だし、あともすべて同じ言説が続くと考えるのは僕だけではないでしょう。最後は「黙れ」という付和雷同の根底にある傲慢さは常に「無責任さ」と深く結びついたものだと僕は考えています。
何かをいうと「お前が~しろ」とそれに続く「でなければ黙れ」という圧力に屈しないことこそ人間が人間らしく生き生きと生きていくことの出発点になるはずですから、この詐欺的言述(幻術といってもよいでしょう)には警戒するほかありません。
しかし思うに、これは「政治への批判的意見」にだけ限定される問題ではありません。わたしたちにとって切っても切り離すことのできな「生活の現場」とは常に政治と地続きである以上、無縁の問題ではありません。
ものの言い方ひとつに、実はミスリードさせてしまうトリックが潜んでいることには戦慄すべきですよね。
氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。