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【53】今のフィギュアスケートはあまりにも危険なものになっているのではないか?:羽生結弦選手の競技者引退・プロ転向に思うこと、浅田真央、ジャネット・リンさんのこと 2022.7.26

1)ジャネット・リンさんのこと
①プレオリンピック
 私がフィギュアスケートというものに目を開かされ、フォローし出したのはジャネット・リンさんとの出会いがきっかけでした。 オールドファンなら誰もが知っていると思いますがリンさんは 1972年の札幌オリンピックの際に 「銀盤の妖精」「札幌の恋人」として大ブレークしたアメリカのスケーターなのですが、私がリンさんに注目したのは札幌オリンピックの時ではなく、その一年前のまだ彼女が日本では全く無名の時でした。
 実はジャネット・リンは 札幌オリンピックの一年前に行われた プレオリンピックの際に日本に来ていたのです。その頃家に有った白黒の 14インチぐらいの小さなブラウン管のテレビをたまたまつけた時にフィギュアスケートをやっていて、それを見るともなく見たのです。その時はフィギュアスケートについて全く興味も無かったし、どんな競技なのかも全く知識もなかったのですが、当時は今のSPとフリーという形ではなく、規定とフリーの二種目の総合点で勝敗を決めると言うやり方でした。規定というのは氷上に8の字とかの課題の図形を内エッジ外エッジを決められた通りに切り替えながら描き、その滑走姿勢と滑り跡の図形の正確さを競うというとても地味なものでした。
 本来フィギュアスケートのフィギュアとは図形のことで、図形を描くスケート:規程種目、がすべてで、それに後年フリー演技が追加されていったのですが、あくまで当時はまだフリーよりも規定の方が主役で配点も規定が6、フリーが4の割合になっていました。(*札幌の時には5:5に変更されていたそうです。)
 当時圧倒的に強く、このプレオリンピックでも、次の年のオリンピック本番でも優勝したベアトリクス・シューバさんは、ゆるぎない安定感のある滑りで正確無比な図形を描く規定を得意とする方でした。 当時 17歳のジャネット・リンはフリーのほうが得意で規定は苦手にしていたのでした。
 プレオリンピックの時にはすでにシューバさんは強豪選手として紹介されており、リンはまだ日本では知られざる選手だったのです。
 けれどその時シューバさんの後に出てきたリンさん(当時17歳)のフリーを見て私は心底感動したのです。ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」にのって滑るフリーはほんとうに素晴らしかった。音楽をここまで完璧に表現した例を他に知りません。彼女のスケーティングはジャンプとつなぎの滑りが分れていないのです。他の選手では次のジャンプのための無意味な助走でしかないのに、リンさんはすべての瞬間で音楽を全身で表現していたのです。滑り始めた瞬間から彼女の世界が拡がり会場全体を包み込むのです。魔法のように魅惑的なスケートでした。一応断っておきますが、その時のおんぼろTVでは碌々顔もわかりませんでしたから、可愛かったからファンになったというわけではありませんよ。
②札幌オリンピック
 それがあったので、札幌オリンピックの時、その終了後に東京でエキジビションがあることを調べ、そのキップを買っておいたのでした。
 札幌でシューバさんはフリーは7位でしたが前半の規定での圧倒的リードを生かして前述のように1位に輝き、リンはフリーで追い込んだものの届かず3位に終わっています。
 けれど試合後人気が爆発したのはリンさんの方でした。
 リンさんはフリーの演技の途中、シットスピンで着地に失敗し尻餅をつくという失敗を犯しています。
 けれどとても不思議だったのは、そこで演技が途切れなかったことなのです。バランスを崩して尻餅をついて、でもリンはほほえみを絶やさず、そこからら起き上がるとごく自然に次の演技に入っていったのです。まるでその尻餅も一つの要素であったかのように、優雅に転び優雅に起き上がり、リンの魔法は全く途切れずに続いたのでした。
 当時フリーの演技は技術点(テクニカルメリット)と芸術点(アーティスティックインプレッション)の合計でカウントされるのでしたが、その時のフリーはこの失敗があったにも関わらず芸術点では満点を付ける審判もいたほどで、フリーだけをとってみれば一位の成績を上げたのです。
 この時の演技は世界的にも絶賛され、これがその後フリーが重視され、規定がやがては追いやられて無くなっていくことに繋がったのです。
 そうした意味で今のフィギュアスケートに彼女が与えた影響は非常に大きかったと言えるでしょう。
 代々木競技場でのエキジビションはリンさんの人気でプラチナチケットになっていました。そうした中で先見の明?で切符を押さえておいた私はリンさんの生のスケートを見ることができました。その時彼女はあの「牧神の午後への前奏曲」を演じてくれたのです。感激でした。
③その後のリンさん
 後日談を少し書くと、札幌で得たリンさんの人気は世界的にすさまじく、札幌の翌年にはプロに転向し活躍しましたが、2年後に喘息のために引退を余儀なくされています。
 その後、結婚して五人の子どもに恵まれる中でリンさんは病気を克服し1981年に27歳(奇しくも羽生選手の現在の年齢)で現役復帰しているのです。
 そして、その翌年、札幌の10年後に当たる1982年と翌年1983年の2年連続でプロのスケート選手権で優勝するという快挙を成し遂げています。私はリンさんが戻ってきたということで、その時の演技もTVで観ています。一時はかなり太ったというような報道もあってどんなスケートを見せてくれるのか若干危惧しながら待っていたのですが、その時ジャネットリンは18歳の時と全く同じ白いコスチュームで、変わらぬ体形で登場し、あの「牧神の午後」を全く同じプログラムで、あの時と寸分たがわぬ演技を見せてくれて優勝してしまったのです。感動しました。
④今の目で見ると
 こうして私の中でリンさんのことは一つの理想像として神格化され、フィギュアを見る際の基準となっていったのですが、それからかなり経った後年、彼女の当時スケートの映像をテレビで見ることがあり、その時、びっくりしたのです。
 それは「ええ、こんなものだったの!」という驚きでした。何しろ当時は2回転半(ダブルアクセル)が究極の最高難度の業でした。3回転だのトリプルアクセルだのビールマンスピンだのは想像もできない時代でしたからやむを得ないことで、それによってリンさんの価値が下がるといったものではないのですが、リンさんの演技はジャンプはもちろんスピードにしても切れにしても、今の技術レベルから言ったら小学校4-5年生くらいのレベルでしかなかったのです。
 技術の進歩があまりにもすごすぎて、リンさんの伝説の演技も過去の遺物になってしまっていたのです。

2)羽生結弦選手のこと
 ここから羽生選手の話に移ります。
①出会い
 羽生さんを最初に見たのは彼が高校1年生位の時だったでしょうか、シニアの全日本に初挑戦したときだったかもしれません。体も細くてフリーを最後まで滑りきる体力がまだなくて、この選手はどこまでいけるのだろうかと疑問視しつつも、その柔らかでしなやかな野性味を秘めた若者の表現力と表現しようとする意志はひしひしと伝わってきて、それ以来ずっと、想像をはるかに越えた大選手になった今までずっとフォロウし応援し続けてきました。
②アーティスティックインプレッション
 私は新体操やフィギュアスケートを昔流にいえば芸術点(アーティスティックインプレッション)によって評価しています。技術というのは何かを表現するための道具なのではないでしょうか。
 絵や彫刻でも音楽の演奏でも、思いを表現するためには技術が必要で、そのためには地道な修練が必要です。けれどもテクニックだけが先走って確かに上手いかもしれないけど、何も心に伝わるものがないというのは、単に下手であることよりもよほど虚しく感じます。
 あえて名前を出せばネイサン・チェン選手はジャンプの技術においては羽生選手を上回っているかもしれませんが、ただ高難度のジャンプをガシガシ繰り出してくるだけで、見ていて美しさは感じず、面白みを感じません。羽生さんの滑りは次元が、目的とするところが全く違うと思っています。(ネイサン・チェンも宇野 昌磨選手も、羽生選手をリスペクトし最大の目標として努力を続けて来て、競技会で何度か勝つことはあったとしても、自身がまだ羽生結弦を越えきれていないことは判っているのではないかと思っているのですが、違うかな?)
③浅田真央さんのスケート
 浅田真央さんも表現したいものを持ち、それを追求し続ける姿が見るものに感動を与えてきた選手だったと思います。ライバルのキムヨナさんもすごいスケーターでしたがアーティスティックインプレッションという評価基準で見たとき、その演技が与える感動の大きさ深さ広さにおいて真央さんの方がはるかに上だったと思います。あのソチオリンピックでのラフマニノフの名演は圧巻でした。
 羽生さんと真央さんの二人が男女のフィギュア界において技術の面でも最先端を切り開き、けん引し続けてきたことは誰もが知っていることです。ストイックな情熱と不屈の意思で二人がそれを続けてこられたことは信じられないほどの敬意に値すると私は思います。

3)現在のフィギュアスケートの問題点
 
羽生選手の競技からの引退のニュースに接して、これは以前から感じていたことなのですが、
今のフィギュアスケートの状況はあまりにも選手に危険を強いるものになってしまっているのではないか、
今のフィギュアスケートの採点はあまりに技術偏重になっているのではないか?
という懸念を改めて強く抱かずにはいられませんでした。
 
 
かって、イナバウアーはやっても得点対象にはならないと知りながらあえてそれを勇気をもってプログラムに組み込み観客や審判の心を掴んで優勝を引き寄せた2006年トリノオリンピックでの荒川静香さんの感動的な演技などもありましたが、(今回このときの動画を見直してみて、後半に入りトゥーランドットのクライマックスの美しい旋律に乗って荒川さんがイナバウアーを見せたときの観客の大きなどよめきと歓声には鳥肌が立ちました。イナバウアーとそれに続く3連続ジャンプを決めたとき、静香さんは勝ったのでした。直前まで得点にならないイナバウアーをやるかやらないのか決まっていなかったと聞きます。それを敢えてやった荒川さんの決断の重さを観衆はよく知っていたのです。ここからフィニッシュまでの静香さんの怒涛の進撃の美しかったこと。肩の力が抜けて本当に自然体でしなやかで、ゾーンに入っていました。彼女の一代の名演だったと思います。)今のフィギュアの採点は、種類や回数が決められた採点対象の要素をいかに正確に実施できたかで得点が積み上げられてゆくという雁字搦めの方式となっていて、採点対象にもならないことをやるなどもっての外の無駄であり、差別化するにはジャンプの回転数を増やすしかなく、選手に難易度競争を強い、その演技がいかに美しく感動を与えるものだったかのアーティスティックインプレッションがほとんど評価されないという状況になっているのは、どこか狂ってるとしか思われないのです。
 先ほどネイサン・チェン選手の演技をけなすかのような発言をしてしまいましたが、現行ルールの中で高得点を挙げ競争に勝つためには合理的に当然のことをしているだけで、チェン選手の方が正しいことはよくわかっています。
 今の難易度競争の中で、真央さんも羽生選手も最後の方は満身創痍の状態だったように思います。真央さんにとってのトリプルアクセル、羽生選手にとってのクワッドアクセルは架せられた十字架、確かにすごい技術ではありますが、それを目標として強烈な意志でやり抜こうとする姿は、苦行をする求道者そのもので、スポーツをする楽しさはどこかに行ってしまったようで、怪我と隣り合わせの演技をハラハラしながら固唾をのんで見守っているというのは、見ている方も辛く、見るものにとっても幸せからかけ離れてしまっているような気がするのです。
 体操競技も同様な難易度競争による怪我との隣り合わせという問題が見られますが、体操では着地に失敗しても足を送れば転ばずに済むとか、床にはマットを敷いたりしているとか、まだしも安全対策の余地があるように思いますが、スケートの場合は、あの細いエッジ1本で降り立つしかなく、その時エッジの方向やタイミングがほんの少しずれただけでも足を送って立て直すということはほとんど無理で、毎回硬い氷の上に叩きつけられ、捻挫や骨折のような大怪我に至ることもザラであるという、他のスポーツと比べ格段に危険な状態を放置しているのが正しい姿なのか疑問に思います。

4)選手を守れ!
 フィギュアスケートは、もっと真剣に選手を守ることに取り組むべきではないでしょうか。
 例えば、コスチュームに衝撃を吸収し転んでも痛くないようにするクッション機能を持たせるとか、スキーのビンディングのように足首に無理な力がかかったらブレードが靴から外れるようにするとかのような、素人考えで申し訳ないですが、保護、ガード機能を開発するとか。
 また採点面でも回転数とかのポイントを減らし、プログラムの自由度を増やし、難度よりも芸術性を重視するように舵を切るような大胆な方針変換をしないと、素晴らしい才能と意志を持った選手であるほど大怪我で再起不能になるまでやり続けるといった悲惨な状態になってしまうような気がします。  
 羽生さんや浅田さんのような当事者の方は、そうした問題をどう思っていらっしゃるのか知りたい気がいたします。

5)ジャネット・リンさんを改めてみたらすごかった!!
 最後になりますが、今回ジャネット・リンさんの動画をユーチューブで探して見たら、沢山出てきました。
 リンさんの15歳、16歳の頃の映像、17歳のプレオリンピックの年の映像、そして札幌での映像、さらには10年後にカムバックしたときの「牧神の午後」まで見つかって、懐かしく見直してしまいました。ほんとにユーチューブは偉大ですね。
 これを見たらもう一度彼女の評価を改めました。
 今も昔も、ジャネット・リンほど美しく幸せなスケートを見せるスケーターはいなかった!
 リンさんと他の選手の記憶に残るスケートのリンクをいくつか載せておきます。
 私の言うことに賛同できるか?
 スケートファンの方是非ご覧になってください。

①最初は1971年プレオリンピックの年のもの。
 私が最初に見て魅了された「牧神の午後・・」はこれと同じプログラムだったと思います。
 この演技を今回何度も繰り返し見てしまって改めて思うのは、ジャンプもスピンもステップもそれが目的にはなっていないということでした。すべてが音楽を表現するための要素となっているのです。
 牧神の午後・・の息の長い旋律にのって、今では考えられないスローモーションのようなゆっくりとしたテンポで、派手な演出ではなく、彼女はむしろ抑え気味に控え目に内面的に曲のニュアンスを彼女の中に受け止めて表現しています。そうしたところに彼女の感性の素晴らしさが感じられます。
 この演技に今の基準だと何点が付くのでしょう。考え方が違うので較べようがありませんが、今の小学生にも劣る評価しかされないことは確かでしょう。
 けれどその評価がほんとうに正しいといえるのでしょうか?
 リンさんのこの魔法のように幸せな演技を見るとき、その疑問が改めて突き付けられる気がするのです。
 アーティスティックインプレッションという点において、やはりリンさんを越える者は後にも先にもいなかったと感じました。
 リンさんの演技が過去の遺物だと思ったのは早とちりだったようです。
 今回この動画を見ることができて幸せでした。アップしていただいた方に感謝です。
 今のフィギュアしか知らない方が見たらどのように思うのか知りたいです。

②次は、これぞ伝説の札幌オリンピックでのフリースケートの映像です。見直してみると、前の牧神はエキジビション、これは競技であるということの違いも大きいと思うのですが、記憶していた以上にスリリングでドラマチックな演技が展開されています。後半画面に白鳥の飛ぶ姿が重なりますが、これは札幌五輪の記録映画をつくった篠田正浩監督の演出です。賛否が分かれるところと思いますが、そうしたくなった気持ちは十二分に分かります。

③次は1970年、16歳のときのリンです。これを見ると、このときすでにジャネット・リンは完成していたということがわかります。すごい選手だったと思います。

④次はオリンピックの次の年1973年のものです。
 これはテレビで放映され、当時はビデオデッキなどなかったので、なんとか記録に残したいと、今はどこかに行ってしまいましたが画面を8ミリカメラで撮影したものでした。
 エキジビションの演技ですが、前半のメリーウィドウのヴィリアの歌の幸せなこと繊細な表現の美しいこと。
 5分過ぎからのアンコールの曲「黒いジャガーのテーマ」のガラッと変わった曲調の息をのむような表現の見事さ、4回転半にも負けないリンの1回転半のジャンプの迫力は必見です。これはリンの最高の作品の一つといえると思います。
 この演技に再会できるなんて嬉しすぎて涙が出ます。
 この頃のリンさんは、まるで本物の妖精が金の粉を振りまいて観客に魔法をかけているかのように、演じている本人も観客も幸せにしてくれました。こんな選手は2度と出ないでしょうね。これって贔屓の引き倒しなのでしょうか?
 今のスケートファンに是非見て欲しいです。

⑤リンさんのラストは1983年29歳でカムバックしたときの映像を紹介します。この時点で3人の母親だったママ:リンは頬がすこしやせて少しシャープな輪郭になっています。解説の女性の方の「昔と変わらず、昔よりもっと美しくなった。」という言葉のように演技にはさらに深みが加わったような気がします。
 演技の後にインタビューがあり、彼女が子育ての傍ら週に5時間の練習を重ねてカムバックしたと話していました。
 一日に5時間ではないですよ。週に5時間でここまで復帰してしまうなんてすごすぎると思いませんか。

⑥荒川静香さんの2006トリノオリンピックです。
 トゥーランドットの曲の美しさとドラマを表現しきった荒川さんの最高の演技でした。荒川さんもリンの系譜につながる表現者の一人なのかと思います。

⑦本田真凛さんの一番輝いた演技:もう一つのトゥーランドット GPSカナダ大会 2017年 16歳
 本田真凛さんも表現者の一人だと思います。荒川静香さんに憧れてスケートを始めたという、このもう一つのトゥーランドットは初のグランプリシリーズ挑戦の時の記録で、真凛さんがなんの迷いもなく、何の疑いもなく自信に溢れて伸びていっていたときの清新で才能に煌めく魅力が一杯です。
 その後怪我などもあったようで思うような成績が残せなかったことはほんとうに残念ですが、この演技を残してくれただけでも記憶の中に残り続けるスケーターだと思います。

⑧浅田真央さんは13歳くらいの頃から名演が多すぎて、私などが選ぶのはおこがましいですが、一つを選べとなると、やはりソチのフリーになってしまうのかな。
 あの時の演技には人間の尊厳というようなものを感じました。勝ち負けなどどうでもよい。本当に世界を感動させたのは浅田真央、栄光はあなたのものでした。

⑨羽生結弦選手についても名演が有り過ぎますが、一つを選ぶならこれです。
2015.11.28 <フィギュアスケート:グランプリシリーズ最終戦・NHK杯>での陰陽師 「SEIMEI」の初演です。
 2014年のソチで金を取り、翌年プログラムをこの「SEIMEI」に変更しています。やはりこのプログラムは羽生選手を代表するものだと思います。この曲での名演は多くありますが、このときの物が一番のように思います。この斬新な演出をやり切って、やり切れた。場を完全に支配した最高の名演でした。

 羽生さんの会見の話から書きはじめたらこんなに長くなってしまいました。
 まだ27歳、羽生さんのプロとしての人生に幸多かれと願います。

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