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研究を社会実装へ:新しいゲームのスタート

瀬々 潤(せせ じゅん)
株式会社ヒューマノーム研究所・代表取締役社長
略歴:
1999年 東京大学工学部計数工学科卒
2005年  博士(科学)東京大学
2006年 お茶の水女子大学 理学部情報科学科 准教授
2011年 東京工業大学大学院 情報理工学研究科 准教授
2014年 産業技術総合研究所 研究チーム長
    (ゲノム情報科学研究センター・人工知能研究センター)
2018年 現職

・今までの経緯

生命情報学、機械学習、データマイニングといった、計算機側ではデータを解析する手法構築を行い、生命科学側ではドライな解析を行う分野横断型の研究者をしています。2018年からは、一念発起して、より活動の幅を広げようと自分の会社を立ち上げて、今に至ります。UJAの方々の様に、長期的な海外での経験はありませんが、研究交流としてスタンフォード大、UIUCにそれぞれ3ヶ月ほどの滞在。現在も、チューリッヒ大学で講義・演習を持たせてもらっています。

私はサラリーマン一家のなかで育ち、大学に入ってもずっと就職してサラリーマンになるのだろうなと思っていました。しかし、何となく(本当になんとなく)就職というイメージが持てず、目の前にあるプロジェクトが楽しく、没頭しているうちに、そのまま給料をもらえる状態になり、今に至っています。学部学生の頃は、ベンチャー企業でプロジェクトを運営したり、ロボットのいわゆるAI部分を作成したりしていました。修士課程では、スパコンを使い倒し、博士課程では、統計や機械学習アルゴリズムの開発と生命科学の方々との共同研究。そのまま、情報科学と生命科学の間をさまよっています。

・いつ頃今の職業につきたいと思ったか

今まで、大学でPI(お茶の水女子大学、東工大)、国研で研究チーム長(産総研)、会社の社長と渡り歩いてきましたが、どれも強い意志のもとで職業に就いたというよりは、その進路を支えてくれる先生、先輩、友人などがいて、後押しされるような形で職業が決まっていきました。自分の力というより、周りの人の支えが全てだと思っています。

本項目のタイトルとは逆に、どんな職業に付きたくないと思っているかというと、仕事が押し付けられるというか、裁量が無い状況は苦手です。比較的、与えられた状況の中で楽しみを見つけて、最善を尽くしていくタイプだとは思いますが、今まで仕事やプロジェクトをしてきた中で、ロジカルに言っても物事が通じなかったり、必要性の薄いことを押し付けられたりしたと感じた状況では、強いストレスを感じます。PI、チーム長、社長、いずれも何らかのリーダーを行って決定をする立場になりますが、お山の大将をしたいと思ったことは無く、自分が納得できる形で後悔しない判断をしていきたいと考えたことの延長線になります。

・就職に成功した秘訣

成功しているかどうかは分かりませんが、一緒に働いてくれた学生やポスドク、社員が楽しかった、成長できたと思ってくれたとき、僕の就職は成功になるのだと思います。

・他の進路と比べて迷ったりしたか

上記の通り、何となく研究職になっていったので、自身の進路での悩みは薄いかもしれません。しかし、特にPIになってからは、異動に関しては悩みました。自分や自分のチームを発展させることに、学生やポスドクのメンバーの生活も絡んでくるためです。女子大から男子大(!?)への異動は、学生には負担が大きかったと思います。当時の研究室メンバーが明るく朗らかで、状況の変化を楽しんでくれた(ように見えた)のが救いでした。産総研から会社を立ち上げる課程では、ポスドクやテクニシャンの方々の転職や異動がありました。能力高いメンバーだったので、彼ら彼女らが、どこかに就職できることは心配していませんでしたが、それでも想定外の事態だったろうと思います。また、産総研の人工知能研究センターの方々、共同研究者の皆様にも迷惑をおかけしました(というか、現在進行形で、ご迷惑をおかけしております)。大学の教授をしつつ、起業されている先生も昨今多くなってきましたが、私はその様な器用さは無いので、いずれかを選ぶ必要がありました。みんなに迷惑をかけつつ、進路変更を繰り返しているので、なんとか恩返しできるように頑張りたいと思います。

・今の生活に満足しているか

満足しています!が、まだまだです!

・生きがいや夢は?

自分の作ったもの、発見したこと、などが皆に使われて欲しいと思っています。例えば、小麦の育種研究に携わっていますが、「あー、このラーメンの小麦の品種、俺作った」って、こっそり喜びたいです。

・なんで起業したの?

ベンチャー起業の多くのイメージは、コアになる確固たる技術があって、それを広めるために起業する形だと思います。特に大学発ベンチャーは、この形が多いだろうと思います。一方で、私の会社は産総研発ベンチャーの様な称号も取らず、知財は引き継がずに起業をしました。少し変わった形かもしれません。そこには、僕が起業に至ったきっかけがあります。

第一にポスドクの雇用の不安定さ。単純に雇用の安定さだけでいったら、ベンチャー企業よりポスドクの方が安定していると思います。ベンチャー企業の経営は一寸先は闇。吹けば飛ぶような不安定さでの経営を強いられます。明日、全員解雇する必要があるかもしれません。それに対して、ポスドクは3年なり5年なりの継続性がある程度担保される状況です。では、なぜポスドクの雇用が不安定なのでしょうか。企業の中では自分のチームの事業が利益が上がらない場合、チームは解散するけど、雇用を維持したまま、別の事業に携わったり、社内転職をしたりできます。雇用を維持する代わりに職種を不安定にすることで、多少のロバスト性が保てます。一方、ポスドクの場合には、多くは国のグラントを原資として、専従義務がある状況。つまり、職業や従事内容を固定する代わりに、任期付きになる形になっています。この様な雇用環境のポスドクを束ね、かつ、5年程度で次のポジションを見つけてもらい、かつ、多くのポスドクは20代後半から30代のライフステージも変わるというのは、PIとしてチーム経営をするうえで、チームメンバーを不幸にしているのではないだろうかという気持ちがありました。

第二に研究を取り巻く状況。自分が研究の世界に入ったのは人工知能冬の時代で、全く人気の無い分野でした。ところが、データサイエンスの盛り上がりで周囲の状況は一変しています。特にデータが重要になったことと、インターネット・IoTが広まった結果、データを一番持っているのは企業であり、研究といっても大学や国研より企業の方が注目される状況になっています。また、生命科学でも次世代シーケンサーやシングルセルの機器に代表される様に、研究が企業から出てきた新しい機材に支配されはじめています。そして、研究ハックとも呼べるようなReview誌のインパクトファクターの高騰、一部企業ではNature等へ掲載することによる宣伝活動。大学でできる研究が、研究のための研究になりがちになっている。1研究者が純粋に研究を楽しんでいた時代とは、全く違うゲームがスタートしていると感じていました。

第三に自分の興味のシフトとキャリア。先の「研究のための研究」に繋がりますが、研究と実社会応用の間の乖離がどんどん開いていって、社会とは関係ないところで動いているような怖さを感じ始めていました。同様に、いろいろ「すごい」面が着目されるAI業界において、もっと地に足をついた活動をして、研究を社会実装へと翻訳することは、短期的には認められないかもしれないけど、長期的には世界の研究の役に立つのではないかと考えはじめていました。同時に、自分のキャリアを考えた場合、研究業界はある程度知っていますが、産業界に行けば(たとえ生命情報やAIの業界であっても)無名の新人。更には、経営となると一度も経験の無いひよっこ。研究業界がもし崩壊したら、生きる場所がなくなる恐怖がありました。「後悔したくない」という気持ちから、起業の道を考える比重が大きくなり、社長の道へと進みました。

この様に「華々しくない」起業ですが、毎日が新しい経験で満ちています。能力のある社員が集まってくれ、何を仕掛けるか、日々考え実践しています。社会を相手に研究しているようなものでしょうか。今の弊社の様なサイズの会社では、身分に関わらず、全員が持てる知識・経験・技術を全部投入して日々過ごす必要がありますが、今の仲間でしか経験できない楽しさは保証できるので、興味がありましたらお声がけください。

我々の会社では、プログラミング無しでAI開発ができ、研究に活用してもらえるプロダクトを作成しています。無料で試せますので、是非お試しください。
* エクセル等の表データ用AI:
https://humanome.jp/activities/catdata/
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https://note.com/humanome/m/m0993fa06d911


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