2024.06.20

普通への憧れ

「普通」という基準ってあるようでないんだけど、でも絶対にある。
それは私の中にだけではなく世間一般的にある。

私は恋愛して大好きな人と結婚して子供を産んで育てたい。家庭を築きたい。もし子供ができなかったら養子をもらいたい。(自分の遺伝子を残さなくて少しホッとするかも。)

知人や友人が結婚して子供を産んでいるのを見るとすごいと思う。自分が経験していないことをしている。昔は同じ学校に通って同じ土俵にいたはずの人達が、私の知らない世界を知っている。そうやって差ができて溝が生まれていく。次第に時間と比例するように大きくなっていく。それはすでに生まれている。高校3年生の時に事件に遭ってから、思い描いていた「普通」は「難しいもの」になってしまった。最近はやっとハンディキャップを背負っていると思うようになった。それも見えないハンデ、私しか知らないハンデ。誰もわかっちゃくれないからさらに悲しい。言い訳したって悲嘆に暮れたってただ時間は過ぎて悪化するだけ。普通に働いて普通に家事ができて普通の容姿で普通に優しい人。普通でいいから。ってじゃあそういうあんたは普通なのか?


たぶん、好きな人ができた。大人だからわかるけど、これが好きってことなんだよね。もっと相手のことを知りたくて近づきたいと思う。同時に、私のことも知ってほしいって思う。まだ今日会うのが2回目だから確固たる好きではないけど、どんな大きさでも形でも好きに間違いないだろう。その人の柔らかい話し方とか雰囲気とかに癒やされる。1回しか会ってないから顔はもうあまり覚えていないし、その人の本性なんかはこれっぽっちもわかっていないけど、それでもこれはそうだと思う。東京で買った彼が好きそうなクッキーを今日持って行くかどうかまだ悩んでる。はずかしいな。自意識過剰だよって思いながら自分を鼓舞して持って行けるといいな。その人とはきっと付き合ったりできないだろうから、これ以上仲良くなっても仕方がないのにさ。


1年ぶりに会った友達からついに結婚すると聞いた。それはそれは嬉しくて、ついにこの時が!!と感極まった。友人は親からの愛に飢えているところがあってそれを引きずっている。それについて自覚があるから自分なりに分析して果敢に対応していて偉い。その友人の彼氏は、幼少期から一番身近な存在である家族といろいろあって、さらに元彼女からひどいことをされてそれはそれは巨大なコンプレックスを抱いていた。だからそれを克服するまでに長い間苦しんできたし、友人も彼女として懸命に支え続けてきた。普通だったら出来ないようなことも彼女だからできた。ようやく困難を乗り越えて結婚することができる二人はとっても幸せだと思った。だけど二人もまた、子供を作るか作らないかで悩んでいるらしい。家族の「愛」って実は簡単に育めるものではないし、この先一体何が起こるかわからないから安易に子供を作ることができないらしい。その話を聞いて私は「そんな「愛」に責任感があって真剣な二人だからこそ子供を産んで育ててほしいよ!」と語ってしまった。平和ってなんだろうって考えた。

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