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水に墨汁を垂らしたように




水に墨汁を垂らし、水面に紙を重ね、写し出してみようといった具合に文章を書く。メタファー的に言えば、水が感性であり、垂らされた墨汁が外界からの刺激であり、墨汁を水が受容し、形づくり、そのときの形を紙に写すことが(私にとっての)書くことである。それは書き出したものは表面的で、一時的なものに過ぎないことを意味する。
墨は水の中でひたすら形を変え、沈んでゆく。



(以下私個人の取り留めのない思い出話になります)
(長々と続きますのでご注意を)


私が「書く」ようになったのは、主に3人の人間が関係する。遠回りをすれば4人。

大学1年生の時にとった近代文学の講義の先生。3年生の時にとった文章の講義の先生。1年生の時にとった歴史の講義で出会った他学部の友人。遠回りをすれば私の叔父(叔父が永遠にこの文章を読まないことを祈る)。


先に叔父の話からしよう。

10代の前半で、叔父から「口に気をつけた方がいい」らしいことを言われた。所謂語るに落ちるタイプの人か、そもそも生まれつき誰彼構わず言いたいことを言ってしまう癖があったからか。
それから環境が320度くらい変わったことも関係し、私は言葉を脳で巡らせ、己の中で沈ませ、結果的に思っていることを口に出さないタイプの人間になってしまった。そうして、言葉が内側に沈澱していった。


次に、近代文学の講義の白くくるくるした髪とヒゲがまるでアインシュタインのようだと勝手に思っていた先生の話をしよう。

義務教育の頃、文章は苦手であり、下手だという風に自覚していた。勉強に関しては教科に限らずそれなりに褒められる立場にありながら、作文に関しては一切触れられないため、子どもながらに向いてないのだろうと感じていた。
本を読むのも別に好きなわけじゃなかった。勉強も半分面白いと思い、半分面倒でやっていた。本、勉強よりも楽しいことが多すぎだ。そう、多分誰よりも遊ぶことが大好きな子どもだったと思う。

文章を書くのが苦手で下手、本も別に好き好んで読まない私は、怠惰で遊び好きなだけで、文章自体に興味がないわけではなかった。自分で読むより、読まされる方が読みやすいと思い、大学1年の時に文学の講義をとった。これが中々「ビンゴ」だった。

講義で取り上げられるのは、主に有名な方が書いた比較的マイナーよりの作品。講義内容は、作品を読む、先生が解説する、感想を書くの繰り返し。毎回死ぬほど真剣に書くが、書き終わるとまるで何かに取り憑かれていたように、何を書いたんだろうとわからなくなる。何より下手なことを自覚しているので、自信が全くない。先生、すまないが真剣さだけでも評価してくれと、いつも内心謝りながら感想を提出する。

そして奇妙なことが起こる。
講義が始まって数回経った頃に、先生は講義の最初で前回提出された感想を2つ、3つ紹介するようになる。そして大抵の場合、その2つ、3つの中に私が書いたであろうものが入っている。そもそもの話、満員になるくらいの広い教室で、果たしてどれくらいの学生が「まじめに」書いているのかも考慮しなければならないが、選ばれるということは、見るに耐えないものではないということだと私は甘んじた。

その「アインシュタイン」先生と1年間通して、おおよそ一度だけ会話を交わした。
確か、谷崎潤一郎の『春琴抄』を読んだ回の帰り、先生と同じ階段で降るとき、先生に

「女性ってやはり怖いものですか」
と聞かれ、

「時と場合によりますが、怖いと思います」
と返した。

「そうですか、では」
と笑いながら、先生は3階で階段を抜けた。

今考えてみると、なんて奇妙で面白い会話なんだろうと思う。もう少し「アインシュタイン」先生と話してみたかった。

私はこの講義で、書くことに対し少しだけの自信を手に入れた。


同じく一年生の時、歴史の講義で運命的な出会いをする。私は他学部の同年代の文豪(そう呼ばせてもらう)と出会う。
彼女の話をしよう。

今だに夕暮れの中、廊下に立って彼女の創作短編小説を読んだ時の衝撃を鮮明に思い出せる。これが天才か、これが才能かと、文学の講義で手に入れた自信がまるで太陽に晒されたナメクジのように哀れだと感じた。

趣味と話が合うので、彼女との付き合いは大学が終わっても続いている。書くことを厭わない、創作意欲がまるで湧き続ける泉のような彼女とともにいると、自然と私もその振動に揺さぶられ書くようになる。
何が恐ろしいかって、彼女はよく書くし、あんな素晴らしい才能がありながら、私のこともよく褒める。しかも褒めるのが上手い。私はごく自然にいい気になってしまう。人並み(/以上)に承認欲求はある方だし、褒められると、書いてもいいかもと、少し浅はかかもしれないが、思わず思ってしまう。

そしてなにより、彼女の理解が私を突き動かす最も大きな要因であるように思う。

常々他人に理解されないタイプだった。まあ本音と本性を表に出さない人間になってしまったので、解られても困るわと言う具合だが。更に、真の意味で他人を理解することは不可能だと思う私であった。
しかしそれでも、私が花に、月に、海に、物事に向ける思いを言葉にして彼女に打ち明けるとき、彼女は彼女なりに理解をしてくれた。それは、人は理解し合えないけれど、理解しようと干渉し合うことが生きる上で大切なんだと教えてくれた。

つまらない昼下がりに、暇で2人して机に突っ伏していた時、急にルーズリーフを取り出して「丸バツゲームしよ」と言ってくれたのが彼女だった。美術館の帰りに遭遇した階段で、クソ暑い中「グリコやろ」と言ってくれたのもまた彼女だった。これらの記憶を愛おしく思う。

彼女からは本当に色々教わった。

(こんな具合に書いてしまって気恥ずかしいのでやはり彼女もこの文章を読まないことを祈る)


最後に文章の先生の話を簡単にしよう。

それなりに、ごくたまに書き物をしているうちに、これは何かの必修だったと記憶しているが、3年生のときに文章の講義をとる。

別の記事(「書き続ける意味について」)でそのことについて記したが、先生は私が期末課題で書いた楽しくないタイプの2000字の小説をプレゼントのようだとコメントをくださった。
書くことは苦しみを伴うことを教えてくださった。書くのであればそれを受け入れなければならない。書くことで苦しむことになっても、あなたは書かなければならないんだと、私を突き動かした。



と言うわけで、水に墨汁を垂らしたように書いている。気まぐれに、貪欲に、真剣に。

ここで書き始めたのは、もう1人の人間が関係するのだが、その話はまた今度機会があれば。

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