日記を書き始めて1ヶ月くらい経った
6月の末に日記を書き始めた。
理由はたしか、1日の中にルーティンがほしかったからだ。
なにかルーティンを繰り返していくうちに、それがいずれ私を内から支える柱になってくれるんじゃないかと思った。
日記をつける上でのルールはいくつか決めた。
寝る前に書くこと。
同じボールペンで書くこと。
1行だけでもいいから書くこと。
とりあえず書くこと。
人が何かを習慣づけるには2ヶ月が必要だってどこかで見たから、2ヶ月経つまではクオリティを無視して「寝る前にペンを取って日記を開いて書いて閉じて布団に入る」という流れさえこなせば上出来だろうと思った。
実際に1か月半経って、1行しか書いてない日もあるし、10行くらい書いてる日もある。
だいたい平均すると1日3,4行くらい。
その時適当に思い出したこと、思いついたことを書いているだけなので、内容に意味はない。
読み返すつもりもないから、ただ筆を動かして線を繋ぐ練習になればそれでいいと思う。
日記を続けて気付いたのは、日によって文体が変わることだ。
のびのびとしていて柔らかい文体、「〜のだ」「〜である」のようなカチカチとした文体。
今日はこういう風で書こうとか思っていないのに、無意識に私の気分が文体をそうさせた。
だからなんとなくペラペラめくり返すと面白かった。
日記を書き始めるとその日に何をやったかが目に見えるので、1日にキリをつけて眠ることができた。
負の感情も日記に書くとが発散されるようで、引きずることが少なくなった気がする。
私の1日のオフスイッチが、日記になった。
1番良かったのはやはり「慣れ」で、1日1文書くと文に対するハードルが下がっていって、日記の書き出しに悩まなくなった。
「どんなことを書いてもいい」と逃げ道を確保しておいたから、安心して文を書けたのだと思う。
この1か月半はスピードが速くて、日記の内容も薄味なものだったけど、その日に学んだことを日記に書こうとか、備忘録にしようとかは思っていないから、このくらいのゆる具合でこれからも続けられたらいいなと思う。
ガチガチに有用性あるものじゃなく、スリッパを履いて生活してみるみたいな温度感で、ほんのちょっと足下を守るものになってほしい。
字が信じられないくらい汚くなっていってるのでそこだけ頑張りたい。