「人の目なんて気にしない✨」という標語の無力さ
「他人と比べない!」
「自分は自分!」
「人の目なんて気にしない!」
「自分の人生を歩もう!」
昨今のSNSは、こんな標語で溢れてる気がする。
ポジティブという正義。
自分のいいところに目を向けようという正論。
これらを目にしていつも思うのは、
この標語たちって正論なだけで、
直したいと思いつつどうしても人の目を気にしてしまう人には1ミリも寄り添ってないよな
と。
頭では分かってる。
人からどう見えるかではなく
自分がどうしたいかを考え、
人と比べるのではなく
自分だけの強みを伸ばす、
「べき」
ことは分かってる。
そこに、
うっすら見下した雰囲気の
「いつまで人の目を気にした人生送ってるの?」
的なメッセージが降ってくると、
そうだよねーーーーーこれ私だわーーーー
こんな自分ダメだよねーーーーなんで私はーーー
とね、
その正論と自分の現状の差にストレートパンチ喰らう。
正論パンチは客観的に見ると爽快なんだけど
当事者の問題は何も解決しない。
「人の目を気にしてしまう🥲」
ことの改善策は
「人の目を気にしない✨」
ではない。
人の目を気にせざるを得なくなった過程は千差万別で、
自分で自分を深掘りしてその理由を見つけ、
その対応策をひとつひとつゆっくり実行していくしかない。
その対応策だって、心に決めた瞬間からずっと継続できるものじゃないから
ゆらゆらと上昇と下降を繰り返しながら
日々自分の感情のもうひとつ奥にある気持ちに耳を傾けてあげるしかない。
そして
「人の目を気にしてしまう自分」
を
「否定」しないで
「認める」ことも大切。
だってそれも自分だから。
認めてからでないと、
変わることも自分に許可できないから。
正論パンチをくらっても
「否定」されたと思わないで、
揺らぎがちな心を正す指標の一個ぐらいに思いたい。
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