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誰がなんと言おうと、わたしは「わがまま」に生きていく。


今じぶんは、何を感じ、どんなことを考えているのか、整理したいと思いひさしぶりにnoteを書いてみようと思います。

...

日々、世の中は目まぐるしく変化していて、当然のことながら自分のいる環境や、状況、心の状態なんかも変化していく。

だから、忘れてしまいそうになるけれど、
わたしは確かに、少し前まで辛くて、悲しくて、苦しい、深い深い闇の中に落ちていた。何が辛いとか、明確にこれが原因だった、と言い切れないもやもやした何かに襲われて、日々少しずつ、じわじわと、すり減っていっていた。

仕事の帰り道、とにかく気分が落ち込んでいて、猫背な背中をより一層丸めて俯きながら駅のホームを歩いたことがあった。次第に呼吸は浅くなっていき、あと少しで過呼吸になりそうなじぶんがいることに気づきつつも、もうどうにでもなってしまえって。このままホームに落ちたらどうなるだろう、なんて考えながら歩いていたこと、覚えてる。


何がわたしをそうさせていたのか。

職場の人間関係には、恵まれている方だと思う。配属されたその日、同郷だからと声をかけてくれた先輩。課は違うのに、わたしのことを気にかけよく声をかけてくれていた。気分が落ち込みそうになった時、何気ないその人のひとことで元気を取り戻したこともあった。

仕事への取り組み姿勢を、評価してもらうこともあった。
直属の先輩や上司はよく「僕が一年目の時は、こんなにもできなかったよ」「本当に優秀で頼りになる」なんて声をかけてくれていた。本心かどうかはわからない。でも、多分だけど、お世辞なんかじゃなく心からそう言ってくれていたと思う。

わからないことは聞けば教えてもらえる。一度教えてもらったことを、うっかりメモし忘れてもう一度聞いても、嫌な顔せず、快く教えてくれる、そんな人たちに囲まれた職場。


にもかかわらず、わたしは働けなくなった。

働けなくなったというか、やるべきことはわかっているのに手につかない。できていたはずのことが段々とできなくなっていった。パソコンを開いても、頭が働かない。何をしたらいいんだっけ、何しなきゃいけないんだっけ。考えられなくなっていってた。

そうして、朝起きるということさえもできなくなって、でも、期限が迫っているものは「やらなきゃ」という使命感で力を振り絞って、なんとか対応して。ギリギリの状態で仕事を回していたと思う。


そんな状態で仕事をなんとかこなしているうちに、とうとう限界が来た。

なんだかよくわからないけれど、パソコンの画面を見ていると涙が出てきて、心も頭もぐちゃぐちゃ。「ああ、もう無理だ」と思って、そのあとすぐ上司に「しばらく休ませてください」と電話をした。

ものすごく怖かった。緊張もした。
どう思われるのか、なんて言葉が返ってくるのかわからない。それ以上に、そんな状態で会社員として働くことさえもできないじぶんが情けなくて仕方なかった。診断書をもらい、精神的な病気だと診断されたことも、「お前は社会に適合できないダメなやつ」と烙印を押されているようで、自分が惨めで仕方なかった。

...

どうして、こうなってしまったのか。
きっと、大なり小なりいろいろなことが積み重なった結果だとは思うけれど、一つ挙げるとすると、周り(他者)の目や価値観に自分を寄せるあまり、自分自身を蔑ろにしてしまっていたからだと思う。

休職する前、わたしは「できません」が言えず、
「大丈夫です」が口癖だった。

周りの先輩が、じぶんよりも遥かに多く、且つ重い案件を受け持っているのを知っていたから、迷惑をかけられないという意識が働いていたのだと思う。頑張って、早く仕事を覚えて、じぶん一人でも安心してもらえるようにならないと。そう思って必死だった。

期待値も込めて次々と振られる仕事。先輩も経験のしたことの無いような重たい案件もあった。正直、ものすごくしんどかった。でも、「できません」「もう手一杯です」が言えなくて、引き受けて、やるからにはとことんやりきりたい性格も影響して、月の残業時間が100時間にものぼることもあった。

”できないやつ”になりたくなかったのだと思う。「いつまでも先輩に頼ってばかりの人=できないやつ」だと思っていたし、逆に、「少しでも案件を多く持って、回している=できるやつ」みたいに考えて、その”できるやつ”になろうとしていた。

そうやって、周り(他者)に求められているじぶん像を勝手に作り上げて、それに応えようとしてばかりいた。


それは、会社の中だけの話じゃない。

大手企業に勤める娘のことを、母親は誇らしげに話すことがあった。もう古い考え方とは思うが、いわゆる”いい会社”に入ったことに安心感を抱いている様子を見てきた。だから、その会社で働き続けることが、これまでたくさん苦労をさせてきた、だいすきな母親のためでもある、と思っていた。

そうして、他者にじぶんを寄せようとするあまり、じぶんが何を感じて、考えて、思うのかを、抑え込み、蔑ろにしてしまっていた。その結果、自分自身が飲み込まれて、頭の中も、心も、身体もすべてがぐちゃぐちゃになってしまったのだと思う。

(この「他者」と「自分自身」と「じぶん」の関係については、西村佳哲さんの『自分をいかして生きる』を読んで、消化できた部分でもあるため、気になった人は手にとっていただきたいです)


でも、この自分自身を抑え込むみたいなの。
それがダメだったのかと問われると、そうは思っていなくって。その当時のわたしにとっては、そのときできる精一杯だったんだと思ってる。周りの人が、大変な思いや、残念な思いをしないようにと意識を向けすぎた結果で、本当によくやっていたと思う。


とはいえ、本当にそれでいいのか。
そうでなきゃ、働いていけないのか、生きていけないのか。

そんなことはきっとなくって。いや、ない。
そんなことはないって、今は強く思う。

...

今でも部屋に飾ってある、大切なメッセージブック。
大学時代、リーダーを務めた活動の節目に、後輩たちからプレゼントしてもらったもの。

ふと目につき、ひさしぶりに開いてみて、当時の自分を思い出した。

その当時、寝る間も惜しんで活動に使う資料を作ったり、大学の空きコマをほとんど返上して後輩のミーティングに参加して進捗を確認したり。

どれも、周りに求められているからしていたんじゃなくて、
「わたしがそうしたい」から選択していた。

なんなら、その活動に専念するために、親の反対を押し切り一人暮らしを決意したりもした。そのせいで、親の仕送りなし・生活費も学費も自分で稼いで生活しなければならず、大学3・4年生の大半をバイトに費やす羽目になったけれど、苦しさも、後悔もなかった。

むしろ、自分で選択している分、活動にのめり込むほど熱中して取り組んで、満足感はとても高かったし、自分の生活にも納得していた。

あの頃は、大学生で、ボランティアの活動で、賃金も発生しないし、ほとんど責任を問われもしない、辞めたかったらやめれるし、だからこそ、自分の好きなように伸びのびと活動できたんじゃないのか。

社会人はそうはいかない。せっかく就職した会社なんだから、そう簡単に辞めるなんてもったいない。転職をしすぎると、入れる会社がなくなっちゃうし。そもそも、他の会社でも通用するスキルがないと採用してもらえないんだから、今の会社でもう少し頑張らないと。

そう思っているじぶんがいたけれど、本当にそうなのか。

世の中にある「こうあるべき」みたいな枠を、
まるで正解かのように思い込んで自分をそこにはめようとしていたと思う。

例えば、会社に属していると、どうしても会社員として生きてきた人が大多数を占める環境だから、会社員として働き、生きていくという枠が”当たり前”のように思えてくる。

でも、ちょっと外に出てみると、それが当たり前ではない環境も、ある。

わたしはこの2ヶ月とちょっと、静岡県の南伊豆町という人口8,000人の小さな町にあるローカル×ローカルという宿でインターン生として生活をし、町の人と関わったり、宿に訪れるゲストと話す機会が多くあった。

バックグラウンドも、持っている価値観も異なる人たち。
日頃、会社員として生活していると関わることの無いようなひととも多く出会った。そのいろんな人たちの出会いを通して、当たり前なんてものはないということを痛感し、じぶんの生き方や暮らし方、働き方は、もっとじぶんのしたいように、ありたいように、選択してもいいと思えるようになった。

...

そんな風に思えるようになった今思う、これからのこと

「わがまま」に生きていきたい、と思う。

変な言い方だけれど、わたしは好きなひとがたくさんいる。
これまで活動してきた組織で切磋琢磨してきたひとや、苦しい時に手を差し伸べてくれたひと、自分の至らなさをさらけ出しても味方でいてくれるひと。そんなひとたちのおかげで、今のわたしがあると本気で思っているし、そんなひとたちをこれからも大切にしたいと思う。

苦しんでいたらすぐにでも飛んでいけるほどフッ軽でいたいし、そのひとたちを喜ばせたり、笑顔にすることには時間も、体力も、お金もそれなりに使い続けたいと思ってしまう。

家族も同様。
だんだんと目に見えて老いていく母が、これから先できる限り苦労しないで済むように支えていきたいし、これまでいろんな場所に連れて行って、さまざまな経験させてくれたように、今度はわたしが母を連れ出し、できる限りの希望は叶えてあげたいと思う。ひとり親でここまで育て上げてくれた母を不安にさせないようにと考えると、ある程度の収入も確保していたいと思う。

そして、何よりも自分自身を大事にしたい。
どんなことに心が動き、好きで、何に幸せを感じるのか。もやもやを置いてけぼりにせず、都度立ち止まってじぶんの心も身体も健やかでいられるようにありたい。

どれも妥協したくなくって。
とはいえ、常に全てのことに100%エネルギーを注ぐのは難しいとも思うけど、できる限りどれも大切にしたい。

それに多分これからの毎日の中で大切にしたいことは、増えたり、減ったり、変わったりもすると思うんだけれど。どれかを諦めたり、切り捨てたりなんてことはせず、どれも大切に、そうやってわがままに生きていきたいなあ。

、、なんってことを、考えています。


、、と、ここまで読んでくれたあなたは、立派なくろちゃんマスターです!おめでとう!ぱちぱち

根気強く読んでくれたお礼に、飴ちゃんあげちゃうので、ご一報ください。

読んでくれて、ありがとうー。

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