見出し画像

めんへら短歌+日記

おつかれさまですういなつです。
とりあえず短歌4首どうぞ。


話しても伝えられないもどかしさ息苦しさは酸欠に似る

死にたいと溢す気持ちは受け皿がどこにもなくてただ足元を濡らし続ける

あの夜の泣いてた自分抱きしめて大丈夫だとやっぱり言いたい

さまざまな人の訃報で溢れてもわたしは今日も水を飲み寝る


ここからは日記。

なんだか精神面の調子が悪く、明白な理由も無く希死念慮さんが訪れて肩を叩いた金曜日。あ、日付変わったから昨日の話ですねこれ。
通院日だったので、アトモキセチンは減薬をお願いして3粒→2粒へ。あとふとした拍子に動悸や息苦しさを感じると話したら頓服としてロラゼパム処方。そっか、緊張とかで心臓痛いなって思ったらそれ試してよかったのか……
いつもクールで事務的な(でも話はきちんと聞いてくれるのでその感じがわたしと合っていると思っている)主治医の口調が妙に優しく感じたので、なんかそこそこ落ち込みというか、ネガティブさが強く出てたみたい。自分では全く自覚なかったけど。

薬局も年末が迫っているせいか人が多かった。
あ、病院も薬局も自立支援の申請の控えの紙で対応していただけて、今回から費用がだいぶお安くなりました。ありがたや。


希死念慮さんに関してですが、ほとんど無くなりかけてる親のすねかじりをしながら生きている自分が情けなくて、金銭面で迷惑をかけている自覚がかなりはっきりあるせいか 、「死んだ方がさっさと片付くのではないか」と定期的に思うのです。今回もそういうやつです。
でも現時点で唯一の肉親である父はわたし以外の家族(彼の兄弟や母、そしてわたしの母でもある妻)を看取ったり死後の諸々の手続きなどを散々やってきたというのを知っているし、「なんで俺が」とも憤ったりしていたことも知っているので、口には出せないし実行になんてもってのほか、なんですよね。

こんなところまで他人に気を遣ってどうするんだとふと思うこともあるけれども、これ以上親不孝になるわけにも、と一人娘なりに思うのです。だから死にたさと真正面から対峙せず、片目瞑って耐え忍ぶしかないなあ、っていうのが今のわたしの考え方です。

生きるのってなんでこんなに難易度高いんでしょうね。
やっぱり仮に来世があるのなら、次はお金持ちの家で愛されて一生を終えるうさぎになりたい。とりあえず人間以外で頼む。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?