一番すごかった編集さんの話(その2)

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・ 上京後の新人と、ヒグマさん


わしが上京して1年が経った。

わしが編集部をたずねると。ヒグマさんが打ち合わせブースで椅子を3つ並べ、その上で横になって寝ていた。
通路まで足が飛び出てるので、誰も通れない。編集長も通れない。
それを気にしないのが、ヒグマさんである。

「いやあウヒョ助よ、やっぱり漫画家に好きでもないジャンルを描かせるのって、たとえ作家に実力あっても上手くいかないもんだなあー」

わしがアシスタントとしてお手伝いさせてもらっていた、若狭たけし師匠の連載が打ち切りになったのだ。ヒグマさんが起こした連載だ。

若狭たけし師匠は、可愛い女の子の明るいコメディ作品が強い武器の作家さんである。そんなうちの師匠に、泥々の高校野球漫画を描かせると、そりゃあそうなる。しかしそんなことを言いながらヒグマさんは、わしに描きたくもない「スピード違反の裁判漫画」を描かせようとしていた。


そう、自分の裁判経験を元に、これでもかと警察権力が嫌いな人たちを集めて、警察をこきおろす漫画の連載企画を立て始めていたのだ。警察の金の作り方を暴露しまくる漫画を、100万部雑誌で始めようとしているのだ。これはちょっとしたテロである。

しかしヒグマさんが飼っている新人は、わし一人しかいない。
そりゃわしが描くしかないだろう。

なにせ国家権力に喧嘩を売る漫画だ。大きな力が動いて、この世に生まれてきたことを抹消される可能性がある。そんな危ない作品、売れっ子作家さんに描かせるわけにはいかない。そりゃもちろん新人の出番だ。

ヒグマさんが、ブースの机に積んであった自社のコミックスを、腕でガッサーと通路に払い落とし、床に散らばる大量の本。

「なんだこのクソ漫画は! 描かせてるヤツの気が知れねえッ!」

大声で叫び出す。その作品の担当編集者に聞こえるように。
確かに人気作家さんが描いている作品だが、最近は誌面に載せるのもためらうほど、手抜きがひどすぎた。しかしやることが豪快すぎる。ただ正直わしは(痛快だな)と思っていた。

警察に喧嘩を売る連載企画は、さすがに内容が内容だけに、まだ編集長の許可をもらうのにも時間がかかりそうである。しかもヒグマさんの裁判はまだ続いていた。そろそろ裁判も4年目である。弁護士費用で、どんだけお金を使ったのだろう。

「規定速度50kmとはいうが、首都高を車の流れを無視して、本当にそれを守って走るとどれだけ危ないか、動画に撮りました!」と、裁判所に映像を提出していた。渋滞していく車道、そして猛速度で追い抜いていくトラックたち。確かに危ない。法律のヘンテコはいっぱいある。

とりあえずわしは、その連載にゴーサインが出るまで、何か別の仕事を探さねばならない。そこで時給の高い「運送屋の仕分け」のバイトを選んだ。1ヶ月ごとに契約更新するバイトなので、いきなり都合でバイトを辞める…みたいな失礼をしないですむ。

連載企画が始まりそうになったら、その月いっぱい働いて更新を終えればいいのだ。わしは仕事を途中で放り投げるのが大嫌いなのだ。父親がそういう人物で、家族が苦しんだ。ああはなりたくはない。


しかしこの仕分けのバイトがキツすぎた。コンベアーに乗った重い荷物が、自分の目の前の滑り台からゴロゴロ転がり落ちてくるのである。それを急いで巨大なカゴへテトリスのように積み続けないと、とたんに渋滞を起こしてフロア中に警報が響き渡るのである。肉体的にこんなキツいバイトはない。

わしと同じ日に入ったバイトが、みんなゲロを吐いて辞めていく。どうりで時給が高いわけだ。休憩時間も2時間に1回ある。これは水分補給のためである。重労働かつ夏場、汗がダクダクで、そのペースで休憩しないと死んじゃうのだ。バイトが終わる夜には、Tシャツに浮かぶ乾いた汗の塩の結晶で、小麦粉にまみれたような姿で家に帰る。

そんな中、ヒグマさんがカットの仕事をくれた。

雑誌巻末の映画紹介コーナーの、イラストの仕事である。小さい絵を描いて、1点につき1万円、それが一月に6カットくらいあったので、かなりの臨時収入だ。

そこで映画紹介の記事を担当されていた女性ライターさんが、裁判所にいた緑色の髪の毛の女性だった。しかしこのライターさんが「わたし、黒澤明の映画を見たことないー」と言った瞬間、映画大好きなヒグマさんが「クロサワ映画1本も観ないでキサマ、映画紹介する気かぁああああああ!!」と大激怒する場面もあった。

そんなバタバタを2ヶ月ほど続けた頃、運送センターで汗だくのわしに、ヒグマさんから連絡が入った。

「決まったぞ連載、準備しろ」


・ 初連載ゲット!


物語は、オービスによるスピード違反の取り締まりを受けた、貧乏青年の物語である。車で出してもいない速度を、警察から出したと言われた青年が、泣き寝入りして罰金を払うのか、それとも機械の誤作動だと主張して裁判で戦うのか。

そういった話の流れの中で、交通取り締まりの中の、警察の錬金術を次々と暴いていく漫画である。頼もしい原作者の方を始め、いろんな反権力のガチ目の方々が協力して集ってくれた。

上京した日、裁判所で出会った、下駄のオジさんが原作者だった。


しかしわしは当時、25歳になったばかり。そんなに強い反権力思想もないので、原作者の強すぎるメッセージを和らげるのが仕事である。そのへんが強すぎると、反発して読まない読者さんも出てしまう。現在のツイッターでのウヨサヨ戦争を見ればわかるとおりである。

そしてわしはペーパードライバーゆえ、免許を持たない読者さんでも理解できるよう、やさしく噛み砕いて漫画にできるという強みがあった。

ヒグマさんに「そんなこと、いちいち説明しなくても読者わかるだろ、常識だぞ」と言われても「いやそれはきっと日頃、運転されてる方たちの常識で、ボクにはわかりづらいです。きっと同じくわからない人が多いはずです」と、原作をイジり直す。

そんなこんなでネームもできあがり、初めての連載スタート!
このわしもやっと自分の本が出せる!


…そう思ったところ、悔しそうな顔をしたヒグマさんが現れた。

「編集長に、10回で連載を終わらせてくれと言われた」

つまり、連載スタートしてもいいけど、短期集中連載の形で終わってくれ…という話である。企画の内容もマニアックかつ危ない企画、さらに絵の下手な無名の新人となれば、その判断は仕方ないかもしれない。

「とにかくアンケートさえ良ければ編集長と交渉できる! 意地でも人気取れウヒョ助! あとはまかせろ!」とヒグマさんに励まされ、わしの初連載がいよいよ誌面でスタートした。


・ 週刊連載はお金がかかるっ!


この雑誌は週刊漫画誌であった。1週間に18ページ、そのペースで締め切りが来る。もちろん自分一人では描くことができない。

そこでアシスタントさんを雇うことになったが、さすがの大手出版社でもそんなにアシスタント候補の新人を抱えているわけではない。新人さんはもうすでに、どこかの作家さんの現場で、アシとして雇われている人ばかりだからだ。

そうなると、安めの時給でも修行として我慢してくれそうな漫画家志望の新人さんじゃなく、アシ専門で生活してる通称「プロアシ」さんを頼むことになる。これがけっこう高いお給料を払うことになる。日給15000円くらいからである。しかも日払い。さらに食事なども外食で提供しなければならない。毎日お札が泡のように消えていく。

それを週刊連載に間に合わせるため3、4人雇うと、もはやアシさんにお給料を払おうにも、わしの貯金だけではまかないきれない。さらに新人の原稿料は安く、お金が振り込まれるのも、原稿を描きあげ、雑誌に掲載されたずっと後だ。わしのお財布がパンクするまでに1ヶ月もかからなかった。

貧しいおふくろのヘソクリ貯金を少し借りても、全然間に合わなかった。そんなの3日で溶ける。これはアカン…!


「俺の50万貸してやる。いつか売れたら返せ。」

ヒグマさんが、自分の銀行口座からおろしてきたを札束をわしに差し出した。いつか売れたら…売れなかったら、返さなくていいのコレ?

さらにヒグマさんは「今からこの紙に、1ヶ月でかかるアシスタント代、食費、家賃、光熱費、画材、その金額をおよそでいいから全部書け!」と言った。わしは言うとおり紙に、経費としてかかる金額をすべて書き並べる。ずいぶんの金が1ヶ月で消えることを知った。そのメモを眺めたヒグマさん。

「うん、全然足りないな、今のオマエの原稿料じゃ。」

そう言い残し、そのメモを持ってヒグマさんは去っていった。

そして翌週。
なぜか、わしの原稿料が2千円アップしていた。

どうやらそのメモを持って「これじゃ足りない!」と編集長にかけあってくれたらしい。新人の原稿料が上がることなんて、ほとんどないことだ。大ヒットしているにもかかわらず、原稿料をいつまでも上げてもらえず、モメていた作家さんも同じ出版社にいたが。やはり編集者の腕と心意気の問題なのだろう。

そんなヒグマさんに支えられ、何か結果を出さないといかん!…と熱くなったわしは「次の原稿でアンケート1位とってみせます!」とイキった。

しかし結果は2位だった。

ただヒグマさんの豪腕な交渉術の前では、その2位の結果だけでも十分だったらしい。結果、10回で終わる予定の漫画はコミックス2巻分まで延長され、その続編となる連載も描くことができたのである。


・ 警察からの反撃



続編の連載は、スピード違反の裁判の物語から、駐禁レッカー取り締まりのカラクリを追う話にステップアップした。これが自分でも言うのもなんだが、ヤバすぎる内容であった。天下り関連の話から、国との癒着の話まで盛り込んだのである。

あまりにも警察を叩きまくる内容。
それが痛快だと、大手新聞社と、美味しんぼの先生からホメられた。
わしもそっち側の人間に見られてるのかなあと不安にも思ったが、わしのペンもノリに乗っていた。あげくには、でかいところの組長さんからファンレターが届くようになる。

当たり前に警察も怒った。
かなり偉い人が怒ったのだろう。

出版社ビル前で、連日におよぶ駐禁レッカー集中取り締まりが始まった。社員の車がどんどんレッカーで運ばれていく。あまりにも反撃が露骨だったので、週刊誌の記事にもなった。

もちろん出版社の中で、たくさんの批判があった。みんな車を持って行かれているのである。そんな連載はやめろと。国家権力の圧力はしっかり効いていた。

そんな中、ヒグマさん。

お騒がせしております! 私、この雑誌で、こういう漫画の連載企画を始めておりまして…」と、今までの経緯をメールで、巨大な出版社の全社員に送付。

そしてわしに「社内に作品を宣伝できたぜえ!」とニヤリ。

このピンチを、宣伝に変えているのである。
あれだけ大きい出版社だと、漫画だけじゃなく、小説やファッション誌、ゴシップ週刊誌から辞典まで、多くの部署がある。自分の会社の、どこの雑誌で何が連載されているかなんて、社員は互いに知らない。そこに一斉に作品を宣伝できたと、ヒグマさんは大喜びしているのである。

以前、他の漫画家さんが「社長室の資料写真が欲しい」とヒグマさんに頼んだことがある。ヒグマさんは「じゃあうちの社長の部屋の写真を撮ってきます」とカメラを持って乗り込んだ。しかし社長は忙しかったのか、面倒臭かったのか、それを断った。

その時もヒグマさんは全社員にメールをバラまいた。
「うちの社長は、会社が今までこんなにも漫画家の世話になっておりながらッ…!」

社長が「悪かった、写真を撮ってくれ…」と謝ってきたのは、そのすぐ後だった。

社長批判を堂々とバラまく度胸のある編集者である。
もとい策士である。

ヒグマさんはそういう人なのである。

ついには「警察官僚のトップは◯井さん(当時)だろ? コミックスの宣伝オビを書いてくれないか頼んでみるわ」と言い出した。もちろんヒグマさんゆえに本気である。もちろんその依頼は相手にされなかった。一番怖くて偉いとこを挑発できるなんて、ヤバイ人だな…と、わしにはもう、ただただ畏怖しかなかった。

結果、どんな圧にも負けることなく、最後まで描きたいこと描ききらせてもらって、連載は無事に終了した。

そのコミックスをデザインしてくださったのが、裁判所で会ったモヒカンのオジさんである。

たまにツイッターで眺める、匿名のヤツからのチッポケな挑発を見るたび(おまえも若い頃にヒグマさんに会っていれば、そんなこと恥ずかしくてできないぞ)と思ってしまう、わしなのである。

そんなヒグマさんが連載終了後、わしにこう言った。

「おまえ、結局一回も週刊連載中に休まなかったな。普通、新人は限界が来て1回は休みをもらうもんだぞ?

マジか、言えば休みもらえたのか…!
怖すぎて、言い出せなかった。

そんな激しい荒波のようなヒグマさんだが、次はそんなヒグマさんの男っぷりの良いエピソードを紹介していく。

(つづく)

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