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未来の執筆環境について考える

数年前までは、ファイルはフォルダごとに入れて管理するのが主流だった。しかし、近年、ファイルはフォルダに入れるよりも、タグやキーワードをつけて検索する、というやり方が浸透してきている。たとえば、GoogleドライブやDropboxなどでそういうふうにファイルを管理している人は多いし、Scrapboxというサービスには、もはやフォルダという概念自体が存在しない。

こういうことが可能になったのも、機械が進化したおかげだ。重要なのはファイルをフォルダごとに分けることではなく、目的のファイルが素早く探し出せること。そのことがよくわかった。

そして、機械は、AIは、今もなお進化の途中にある。未来のファイルの管理はもっと楽になるだろう。

ふと思った。ならば、未来の執筆環境はどう変わるだろうか?

ニュース記事のような、正確さが求められる文章は可能なかぎり自動化されるだろう。実際、すでにこの分野にAIが用いられているという話も聞く。これは、求められる文体が明確だからだ。基準が明確であればあるほど、機械にとっては容易に自動化できる。

では、芸術方面、小説などはどうか?

作者独自の文章を真似するのは難しいかもしれない。

小説では、必ずしも正確な文章が求められているとはかぎらない。むしろ、作者独自の文章(文体)が魅力のひとつになったりもする。仮に機械が小説を書くようになったとして、同じような文体の作品ばかり並んでは、さすがに読者も飽きるだろう。誤字脱字の校正などは可能としても、文章全部を機械が書くというのは難しいように思える。

一方、ストーリー構成などは、ある程度自動化ができるかもしれない。起承転結や序破急、ハリウッド式の三幕構成など、すでに体系化されているものは、AIなら学習できそうだ。

もうひとつ、自動化が難しいものがあるとすれば、やはりテーマだろう。「なにを書くのか?」という一番核となる部分は、人間が考えるしかない。そうしなければオリジナリティは生まれない。

自動化できるものは、本質ではない。

「独自の文体」と「独自のテーマ」、この2つが小説などの文章作品における核だと言える。

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