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2週間で小説は書けるのか?

つまるところ、2週間で小説を書くことは可能だが、同時に不可能でもある。そのことがよくわかった。

『2週間で小説を書く!』という本を読んだ。このタイトルに興味を惹かれない人間はいないだろう。2週間で小説を書く……本当にそんなことが可能なのか?

先にネタバラしをすると、クオリティを無視すれば2週間で書き上げることが不可能ではない。書きなぐりの短編なら2、3日でも可能だろう。問題は一定のクオリティを備えた小説を書けるかということであり、そこは著者自身もわかっている。本書の目的は、その「一定のクオリティ」にたどり着くための基礎的な能力を2週間で身につける、というものだ。そのために、本書には「実践演習」という項目も設けられている。

しかし、たとえこの実践演習を行ったとしても、やはり基礎的な能力を身につけられるかどうかは当人の才能次第だろう。早熟な才能の持ち主ならすぐに身につけられるが、ほかの者はそうではない。また、2週間で基礎的な能力が身につかなかったからといって、小説の才能がないということも意味しない。遅咲きの才能は、どんな分野でもあるものだ。

それはそれとして、本書の価値は実践演習の部分よりも、著者の小説観が記述された本文のほうにあると思う。実際、演習問題をやるより、本文を読んでいたほうが面白い。そこで以下、本文のなかからいくつかピックアップしていこう。

・小説とは、私たちの人生観の雛形なのである。
・ステレオタイプに染まる書き手というのは、むしろステレオタイプに近いことを「うまく書けた」と思いがちなのである。
・文章は書かれた瞬間から、もう一つの身体として生きはじめる。
・文章は、人間をありのままに伝えるというよりも、言葉で築かれた人物を作り出すのである。そして、その力を最大限に利用するのが、小説という表現である。
・小説を早く読む秘訣は何かをひと言でいうと「面白がる」ということに尽きる。
・小説を書くのに最も大切な書く力とは、具体的な人物や行動や風景を、目の前にあるかのように再現する力、すなわち<描写>力である。
・これから小説を書こうという人は、いきなり最初からは難しいかもしれないが、このような自分の文体を何らかのかたちで探し当てなければならない。
・ストーリーを考えたりテーマを考えたりするよりも、どういう文章で書くのか。それが一番最初で、そして最も大切な問題なのである。
・小説には非日常的な事態や出来事が起こる。しかしそのためにはその手前の「日常」がしっかりと描けていなければならない。
・問題やストレスが最後に簡単に回収されるような結末だったら、ないほうがましだ。大切なのは解決ではなく、変化である。
・キャラクターに魅力があるかどうかで、小説の生死が決まる。
・どんな性格の、どういう生活をしている、どんなしゃべり方の人間か、そういうキャラクターデザインを徹底させることが必要である。平凡な部類なら平凡なりに、変わった奴なら変わり者なりに、それぞれデザインが必要だ。
・大きな特徴を一つはっきりさせる。それもできれば中途半端ではなく極端にする。つまりコントラストをはっきりさせることで、人物は存在感を持つ。
・言葉によって目に浮かび上がらせる、身体に感じさせるという作業は、とても面倒で、まだるっこしいように思える。だが逆に、決して絵や写真にできない表現が可能になる。たとえば、現実にはありえないシュールな光景、複雑に乱れた心の内側、いま現在の出来事と重なって浮かぶ記憶、複数の人物がめいめい別のことを考えている瞬間……。
・ガラスのコップをただ眺めているだけでも描写はできる。
・ものの見方と考え方、それを書く文章の語り口が独自であること。つまり、文体が個性的であることだ。それが小説の魅力の第一だと私は思う。
・作家を目指す人は、夢を大きく持つのはいいが、成功することだけを夢見てはいけない。むしろ最低の作家生活になったとしても、耐えられる支えを持たなければならない。
・それには自分の目指す小説を書きたいという夢があれば十分である。そして、それだけが支えになる。

読み終えて、自分を振り返って思うのは、まず描写力の不足。これは本当に実感するところなので、鍛えなければいけない。

また「文章は書かれた瞬間から、もう一つの身体として生きはじめる」と本文にあるが、この「もう一つの身体として生きはじめる」という点こそ、書くことへの恐怖の根源ではないかと思った。少なくとも、姫呂の筆が止まってしまう理由はこのあたりにありそう。

あとは単純に、タイピングの連続によって疲労するという面もあるので、適度に休憩することは忘れないようにしよう。


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