うつ病になったのは、現実と戦ったから

北野武映画について調べていたとき、次の論考に出会った。

「キッズ・リターン」のラストを考える

この論考では、主人公のふたりは現実に敗北したが、だからこそ精神が輝きを放っているのだと述べられている。

論考を読みながら、自分のことを振り返ってみた。

僕は生まれつきストレスに弱い性質だった。うつ病になったのは数年前からだが、不安障害になったのは10代の頃だし、よくよく思い出せば発症するまえから兆候はあった。

10代の頃は、まさに己の不安に負けていた日々だった。学校には通っていたが、帰宅後はほとんど家に引きこもっていた。

20代になり、ようやく己と戦いはじめた。不安を抱きつつも前進しようと思った。

その結果、恋愛にも、仕事にも、夢にも敗れ去った。

まさに「現実に負けた」のだ。

そしてうつ病になった。

僕の人生は、まさにキッズリターンの主人公たちのように、すでに終わっているのだろう。少なくとも、他人からは実際にそう言われたことがある。

だが、先の論考を読んで、僕が現実に敗北したのは、己の不安と戦ったからなのだと思えるようになった。

もし、未だに己と戦っていなかったらどうなっていたか?

うつ病にはならなかったかもしれない。だが、それで今より幸せだったかというと、そうは思えない。

きっと、自分の殻に引きこもる日々が続くだけだったろう。

生きながらにして死んでいる人生だ。

うつ病によって大変な苦痛を受けた。今も苦痛は癒えていない。だが、それは生きている証だ。

己に打ち勝ったからといって、現実に勝てるとはかぎらない。

だが、己に打ち勝ったことで、少なくとも自分自身には負けなかったという誇りは持てる。

社会的な成功よりも、価値があるのはそっちのほうではないか。



サポートしていただけると、生きる力になります。