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⑦死について考える

今回この病気になり、おおげさと思われるかもしれませんが「死」について考える機会となりました。
今まで病気はおろか骨折もしたことがなく、入院したのは出産の時だけという健康優良児(?)だったので、死について深く考えたことはありませんでした。

そもそも「死ぬ」というのは、夢を見ずに眠るのとほぼ同じで、恐れすぎる必要はないというのを、以前シェリー・ケーガンという教授の「死とはなにか」という本で知りました。
(読んだのではなくYouTubeのまとめで見ただけですが)
「死」はなぜ怖いかというと、死んだらどうなっちゃうんだろう?という未知のものだから怖いと。
でも実は毎晩みんな眠るということで「死」の擬似体験してるんだよ〜だから怖くないよ、という内容です。

うーん、確かに…手術のための全身麻酔は「仮死状態」なわけだし、例えば手術中に予想外の大出血とか心停止とかで死んでしまった場合、私の中での最期は何も苦しくなく、のんきに執刀医に「よろしくお願いします〜」と言ったのが最期になるわけで、怖い思いはせず死ぬことになります。
それに、今まで割と好きなことをやってきたし、好きな人と楽しく過ごせたし、美味しいものもたくさん食べたし、あの時に戻ってやり直したい…という大きな後悔はない恵まれた人生だったので、私個人としては今突然人生が終わってしまってもそんなに怖くないな、と思いました。
そう思えるのは幸せなことです。

ただ、じゃあいつ死んでもいいかというとやっぱり怖いわけで、「子どもたちの成長をもっと見守りたかった」「家族で旅行に行きたかった」「仕事であのプロジェクトに関わりたかった」「もう一度友達と飲みに行きたかった」などと、死ななければこれから先にできるであろう楽しいことを考えてしまいます。
これから先の楽しい未来を奪われる=死が怖い
この怖さを「剥奪説」と言うそうです。

それから、死ぬまでの過程も怖いなと感じました。
眠るように痛みや苦しみがなく死ねたらいいですが、実際にはそうはいかないんじゃないかと思います。
今回入院した部屋が4人部屋でしたが、私以外の3人はみなさんガンで、既に手術はしていて、抗癌剤や放射線の治療を受けるための入院のようでした。
副作用が辛いようで、吐き気・痛み・味覚障害などを訴えていました。
特にお隣だった方は余命宣告をされているようで、涙ぐみながら看護師に年を越せるかわからないと言われたという話をされていました。
その方はガンの痛みがかなり出ているようで、夜痛みを堪える声が聞こえてきたり、緩和ケアという治療というよりも痛みを和らげるための麻薬の投与などをしている様子が伺えました。

(カーテンしか仕切りがないので、看護師との会話が聞こえてしまい、みなさんの大変そうな様子がわかりました。同室の方の状況をこのようにブログに書くのはどうなのかな…と悩みましたが、私にとって今まで本や映画の中でしか見たことのなかったことを間近で実感し、すごく考えさせられたので書くことにしました。)

私が死ぬのが怖い理由は、これから未来に起きる楽しい出来事を奪われること、死ぬまでの過程で痛かったり苦しかったりすること、なんだと理解しました。
こうやって書くと結構当たり前なことに思えるけど、漠然とした死ぬの怖いな〜という気持ちをちゃんと整理したことがなかったので、とてもいい機会になりました。

「死」はなんとなく考えることも怖いし、不謹慎!みたいに思ってしまうけど、人間は必ず最後は死ぬので、「死」について考えることは今をどう生きるか考えるのと同じくらい大事なことだなと思いました。
「いつかやればいいや」とやりたいことを先延ばしにしたり、「今はこれでいいか」と妥協してしまったり、「後で謝ればいいや」と人間関係をそのままにしてしまったり…それが積み重なると大きな後悔ややり残しになってしまうので、元気に生きている今を出来る限り充実したものにしたい、と感じました。

また、今までガンという病気についても無知だったので、ガン=死に直結する病気、というイメージでしたが、治療によってある程度治せること、治療内容も色々な選択肢があること、緩和ケアなど治療以外にも手段があることなどを知りました。
病気になっても自分らしく生きるために、医師にしっかりと「こうしたい」を伝えて、自分に合った方法を選ぶことが大切なんだなと感じました。
そして何より自分の体を大切にすること、定期的にメンテナンスのために時間とお金を使うことが大事だとつくづく思いました。

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