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あるとき、私は母を捨てた。

詳細について書こうと思ったのだけど、母のことを書いているとどうしても気分が悪くなる。
途中で書けなくなってしまった。なので、また初めから書き直している。

母とは強い共依存関係で生きてきた。
私は母に認められたかった。丸ごと私の存在を認めて欲しかった。
私を見て、笑って欲しかった。

私の望んでいたものは、全く手に入らなかった。
母にどうしても私の存在を認めて欲しくて、私は「母」という人を自分の中に取り込んだ。(無意識に)

私のほうを見て欲しかった。だから、ずっと母のほうを見続けた。凝視していた。
ずっと見ていると、ほんの些細な母の変化に気付く。
母の機嫌が悪くなりそうなときには先廻りして動く。
母の気に入らないことは、しない。

母の苦しむ顔はもうこれ以上見たくなかった。いつも誰かに傷つけられ、いつも孤独で、笑顔のない母。
そんな母を見たくなかった。母には幸せでいて欲しかった。

母を傷つけ苦しめてばかりの父から、私が母を守ると決めた。
母に寂しい思いなんかさせない!私が絶対に母を守る!

でも母が本当に求めていたのは、娘ではなく夫だった。
(もちろん母は自分のそんな根っこの気持ちに気付くはずもなかった)

それな母の根っこが見え、母のずるさがわかってから母のことを全く信じられなくなった。
なんだったんだ?私に繰り返し聞かせた夫の悪口は?

そんな卑怯な母なのに、私は母に愛情を求め続けた。
手に入るはずなんかないのに。私の求めているものが得られるはずはないのに。
求めれば求めるほど、自分が傷つくだけなのに。

それでも私は母に愛されたかった。母に愛されたい欲求を私は捨てられなかった。
私は愛されたかった。私は愛されることを渇望していた。

ずっとずっと「母」を気にして生きてきたので、母は私の外側ではなくいつの間にか私の内側に棲みついていた。
母は私の内側にいて、24時間ひとときも休まず私のことを監視している。

そばにいなくても、母の機嫌がわかる。
父との間でまた何か揉め事が起きて母がイライラしているのがわかる。

私がどこで何をしていても、「母の機嫌」がついて回る。

こんなことをしていたら、また母にイヤなことを言われるよね。
こんなことを言ってて母に聞かれたら、とんでもないことになるよね。

母と私は一心同体。そうしていないと不安で仕方なかった。常に母と一緒じゃないと、不安で仕方なかった。
「母」を感じていないと、生きていられないと思っていた。

そう。
「母に認めてもらえないと、私はこの世に存在してはいけないはず」そんな大きな勘違いをしていた。

母親が自分の存在を認めてくれないと、私はこの世に存在してはいけない。
なぜか私はそんな錯覚をしていた。

あるとき、私は私の中に棲みつく母とサヨナラすると決めた。
実際には、母は私は目の前に生きてる。ちゃんと見えてる。
それなのに、実体のない「私の中の母」とサヨナラすると決めただけで、私は精神のバランスを崩して壊れそうになった。

母と自分を切り離す作業は、言葉にならないほど苦しいものだった。
他のどんな「依存症」も、たぶん離脱するのは難しい。
でも、母子共依存からの離脱は、たぶん他のどんな依存症にも劣らない苦しい作業。

何年もかかった。
繰り返し繰り返し、私の中に棲む母に「サヨナラ」を言い続けた。

それは、私の中に棲む「母という存在」を一度消してしまう作業。
ある意味「母殺し」。「うばすてやま」。

母を殺すなんて。本当に自分が壊れそうになった。冗談ではなく。
全身をズタズタに切り刻まれて、自分がバラバラに裂けてしまうようだった。

「自分自身」よりも、私の中の「母」は大きな存在になっていた。

「母の機嫌」が何より大事。母に気に入られることが何より大事。

判断基準の最優先は「母」。
「自分」なんてどこにもいない。

自分の中にこれっぽっちも「自分」がいないことに気付いて愕然とした。

そんなふうに自分自身よりも大きくなってしまっている「母」を、自分の中から消すなんて!

自分自身よりも大事にしてきた「母」。その母を殺す作業。
精神的な母殺しとは言え、それはとんでもなく苦しい作業。

なぜ私が壊れてしまわなかったのか、不思議としか思えない作業だった。

完全に「母殺し」が遂行できたわけではない。でも私の中に棲む母は、とてもとても小さくなった。

やっぱりまだ母を気にするクセは残っている。
でも自分で気付けるくらいになったので「あ、また気にしてる。気にしないようにしよう」と自分に言い聞かせられる。

母がどんなに不機嫌でも、放っておけるようになった。
数年前に要介護となってしまった母は、ますます笑顔がなくなったし不機嫌なことも多くなった。
相変わらず、父は全く母に無関心。自分が遊びに行きたい日は朝から遊びに出掛ける。
母がどんなに体調が悪くても、父は母のことなんか全く見えない。
そんな父だから、ますます母は不機嫌になる。

そんな状況を放っておけるようになった。
二人の関係の悪さには二人の問題。私は関わらない。
母の不機嫌にも、父の卑怯さにも、私は関わらない。

私は私を最優先にする。
私は病気を抱えている。誰も私の体調の悪さにかまってなんかくれない。
自分を守れるのは、自分だけ。

母の言葉は、まるで呪い

子どもの頃から母に繰り返し繰り返し聞かせられたことがある。

「あなたの父親がどれほどひどい男か。
あなたの父親に私はどれほど傷つけられていたか。
男なんか信用してはいけない。
男なんかに頼っていたら、私みたいに不幸な人生を送ることになる。
女も手に職つけて自立して、男なんかに頼らずに生きていかなくちゃならない。」と。

ずっと私を縛り続けてきたそんな母の言葉も、ようやくどうでもよくなった。
それは母の生きた人生。

私は病気のため、仕事もやめてしまうことになった。
なかなかままならない人生を生きてるし、これから先も息子に頼らなくちゃならない人生。
でも、私は私の人生を生きるしかないし、そんな人生を心から楽しむつもり。

母を捨てたことで母への気持ちがどう変わったか?

結果的に、母に対してラクな気持ちで接することができるようになった。
放っておけるようになったことで、却って素直に母のことが好きだと思えるし、
人にも「私はやっぱり母のことが好きなんだ」と堂々と言えるようになった。

これは自分でもびっくりだった。

私の母への愛情は何一つ変わらなかった。それはとても大きなことだった。

一度しっかり母を捨てて良かった。本当に。
私をぎゅうぎゅうに縛りつけ抑圧していた母は、私の中でちっちゃくなってどうでもいいくらいの存在になった。

目の前には、変わらない母が存在している。

母親との関係に悩み苦しんでいる人に、私は何が言えるだろう?

私は母を捨てて良かったと思う。
でも母を捨てることがどれほど苦しい作業かを知っているので、安易には勧められない。

苦しんでいる人は、専門家の力を借りて欲しい。
でも、専門家でもこのつらさを理解してくれる人はたぶん少ないと思う。
でも諦めずに、苦しさに寄り添ってくれる人を探して欲しい。

私の個人的体験でしかないけど、母を捨てた先にあったのは「希望」だった。

母を気にせずに生きられるようになって、ようやく私は「自分」を生きている。

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