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「鬱」にはすごく慣れている私でも、やっぱり不快なのです。プチ鬱。私の個人的なプチ鬱論(プチ鬱のとらえかた)。

長いこと、ひどい「鬱」の中にいました。
今でも時おりプチ鬱に落ちます。日常的に。

これまでも何度かnoteにも書いたのですが、私の抱えている病気は双極性障害(躁うつ病)。
診断が降りてから10年が経ちます。
その前は長いこと「うつ病」という診断で治療を受けていました。

今ではどうにもならないひっどい鬱に落ちることもなくなったので、
ようやく私にとっての過去になりつつあります。ひどい鬱。
それでも鬱に苦しんでいた頃のことを思い出すのは、
あまり気持ちのいいものではありません。

今でも些細なストレスや環境の変化で、私はやっぱりプチ鬱に落ちます。

慣れている私でも、気持ちのいいものではないのです。
とてもとても不快なのです。プチ鬱。

プチ鬱に落ちると、無意識にいろいろと原因を探そうとしてしまいます。
キョロキョロとせわしなく探してしまう。
何か原因が思いつくほうが安心なんですよね。
原因が思い当たらないと、よけいに不安になってしまう。

原因がわかれば、その原因を排除すればプチ鬱から逃れられそうな気がしてしまう。

慣れている私でも、ついつい忌み嫌ってしまうのです。プチ鬱。

忌み嫌って排除しようとするのではなく、うまく折り合っていくことが大事!だと
頭ではよくわかっているのですよ。

長いこと鬱の中にいた私は、折り合っていくことの大事さを誰よりも身に染みています。

そんな私でさえ、ついつい自分のプチ鬱を嫌ってしまいます。

嬉しくはないものなのですよねぇ、やっぱり。プチ鬱。

世の中の激変で、初めてプチ鬱を経験する方も多いかもしれません。

ヒトの脳みそは「いつもと同じ」をすごく好みます。
ということは、「いつもと違う」をすごく嫌う。

「いつもと違う」を排除しようとし、「いつもと同じ」に戻そうとするのが
脳みそに備わった働き。

世の中の激変により、
いつもとは全く違う状態を強いられている方がほとんどだと思います。

ということは、たぶんほとんどの皆さんの脳みそが
「いつもとは違うぞー!!」と必死にアピールしている。

「いつもと同じ状態に戻せーー!!」と必死に必死にアピールしている。

それは、「いつもと同じ安定した状態」に戻し、自分を守ろうとする
自己防衛反応みたいなもののようなものではないかと私は思っています。

いつもと同じ状態。戻したくても戻せないですよね。

いつもとは全く違う状態を無理やり強いられている。

「いつもと違う」という強い不快感。
「いつもと同じ状態に戻したくても戻せない」という強いストレス。

脳みそには、相当な負担がかかっていると思います。

今は違和感だらけの脳みそだから、プチ鬱に落ちてらっしゃる方も多いのではないかと思います。
初めて経験するプチ鬱に、
よけいに戸惑い不安になってらっしゃる方も多いのではないかと思います。

今は誰でもプチ鬱に落ちてもおかしくない。
日頃元気で活動的な方ほど、変化も大きいはずなのでダメージも大きいかもしれません。

日頃元気な方は、自分がプチ鬱に落ちるなんて許せないかもしれないですね。

でも当たり前なんですよ。
この急激な変化に脳みそがすぐに順応できないのは、当たり前。

なので
「急激な変化についていけてないだけなんだ。当たり前なんだ。」と
繰り返し自分に言い聞かせてくださいね。

当たり前だと思うと、少し気がラクになります。

無理に「気持ちを元気に保とう」と気合いを入れるのも、思った以上に負担がかかります。

なので「今は少し気持ちが落ちてるくらいが当たり前なんだ」と
自分に言い聞かせてくださいね。

たぶん長期戦になると思います。
ストレスの多い日々が長く続く中で、ずーっと気持ちを元気に保っているのは
思っているよりエネルギーを消耗してしまいます。

長期戦をうまく泳いでいくためには、気持ちさえも時々休憩が必要です。

その気持ちの休憩が「プチ鬱」です。

今は脳みその活動量を落としてエネルギーを温存し、長期戦に備えるのも大事かも。
ということは、不快な「プチ鬱」も、却って今は大事かもしれません。

なので、気持ちが落ちてしまうことを怖がらないでくださいね。

初めてプチ鬱を経験されて戸惑っていらっしゃる方に届くといいなと思って書いていますが、
もちろん、自分自身に言い聞かせるためでもあります。

もし専門の方が読まれて「その考え方は違う」みたいな部分があれば
ご指摘いただけると嬉しいです。

ひどい鬱の実体験と、自分なりに必死に集めた情報からの
私なりのプチ鬱の考察です。

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